紫ものがたり 杜若

紫は、人を魅了し引きつける美しい色です。初夏を告げる太陽の光のもと、杜若(かきつばた)や花菖蒲が咲き競う中で、自然の中の紫色は、人を惑わせるような、不可思議な世界へと誘います。また、紫は古代より、洋の東西を問わず、高貴な色とされていました。日本人だけではなく、遠く地中海を航海する古代フェニキア人も、貝で紫色に染める貝紫染を、今から3600年以上の昔に発見していたのです。

紫の語源

「紫」は、中国古代(後漢時代)の字書「設文解字」(せつもんかいじ)によれば、「帛の青赤色なるものなり」とあります。紫は、青と赤の間色であるということをあらわしています。


紫の世界史
5世紀頃のコプト裂・帝王紫染めの衣を纏うユスティニアウス帝

古代中国の五行思想の中の五色「青、赤、黄、白、黒」という正色には紫が入っていません。が、「紫の朱を奪うを悪む」(「論語」)という言葉があるように、古代より、紫は好まれていました。漢の武帝は、ことさら紫を好み、天帝の色として、他の者の使用を禁ずる「禁色」としました。そして、みずからの住まいを紫宸、紫極とあらわし、以来、中国では紫が最高位の色となっていきました。

一方、西洋でも、紫は好まれていました。 今から3600年前、地中海沿岸の東側に、フェニキアという国が誕生しました。海岸沿いにそびえる山脈のレバノン杉を利用して船を造り、地中海を縦横に航海する海洋国家でした。
その海に生きるフェニキア人が、貝を紫色で染めていたのです。アクキガイ科の貝の内蔵から黄色い液を取り出し布に浸け、太陽にあてると、 やがて布は紫色に変化します。この不思議な染色法は、貝紫染と呼ばれています。ひとつの貝からわずかしか の量が取れないことや紫色が妖艶な色合いを見せることから、たいへん珍重されました。そして、地中海のギリシャ・ローマ帝国の帝王に愛さ れ、、彼らの衣服の象徴的な色となっていきました。それが帝王紫(ロイヤル・パープル)といわれるものです。こうして紫は、洋の東西を問わず、高貴な色として、なっていったのです。


日本の紫好み
聖徳太子が推古天皇の摂政となって、律令制がひかれ、新しい政策打ち出されたなかに、冠位十二階の制があります。個人の能力や功績に応じて、冠位をあたえて、広く人材を登用しようとした制度でした。その位を十二にして、それぞれの位によって服飾を色分けしました。これは、隋の制度を見習ったものですが、その中で、紫は一番上位に位置づけられました。


こうした制度によるものだけではなく、自然の色としても、万葉集や古今集にも多く歌われ愛されてきました。平安時代には、武蔵野に、紫草の栽培園がつくられ、名所となっていたことが知られいます。また、「源氏物語」では、光源氏の最愛の人に名前にも「紫の上」という名前がつけられ、紫を尊ぶ風潮は、とても大きいものがありました。「枕草子」の「すべてなにも紫なるものはめでたくこそあれ 花も糸も紙も」という文章は、それを象徴しています。
時代が下って、戦国時代になっても、武将もまた、紫を好んでいたようです。上杉謙信の衣装にも、肩と袖が紫で染められ、紫草を相当な量を使って染めて織り上げられたものが残されています 。豊臣秀吉や徳川家康の衣装にも紫色の辻が花染が残されています。
また、江戸時代になると、歌舞伎にも使われ、「助六」の主人公が頭に巻いた紫の鉢巻き姿あります。それは「江戸紫」と呼ばれ、京都の赤系の紫に対して、青みがかった紫が、粋だったようです。