「日本文化そもそも」とは、
日本文化の根本を知り
「そもそもこういうことだったのか!」ということに気づき
暮らしに息づかせるために
今の世の中から忘れられていることを取り戻し
本当の意味で、心豊かに暮らすためのヒントを見つける講座です。

※「サラダ隊」とは「こころ塾」の「和文化サラダ」開催時に結成された
ボランティアレポーターチームの名前です。
それぞれの感性で書かれたレポートをお楽しみください。

和の学校のこころ塾は今年度でシリーズ2回目を迎えました。

今年の「日本文化そもそも」は
日本人の生活により密着した「衣食住」にテーマを絞り展開してまいります。
お話を聞くだけでなく質問したり体験したりと、

参加して頂く時間を前回より多く設けております。
また今回は、小さいお子さまをお持ちの方々にも気軽に参加して頂けるよう、
保育士の資格を持ったボランティアスタッフが
講座の時間はお子さまのお世話を致します。

現代の暮らしを豊かにするヒントがたくさん詰まった「日本文化そもそも」に、
ぜひご参加ください。

平成21年6月〜1月 講座内容と各先生のプロフィールはこちら。
読売新聞ホームページでも掲載されました。


日本文化そもそも  平成21年6月28日(日)


  その1
〜自然の恵み〜


講師: 野本寛一氏

(民俗学者・近畿大学名誉教授・
柳田國男記念伊那民俗学研究所所長)

会場:こどもみらい館
 
レポート:サラダ隊 京水菜   写真:吉田明彦

主催:和の学校  共催:京都府

京都府のホームページ内の

「京都eラーニング塾」で

動画配信しています。


京都eラーニング塾

http://info.pref.kyoto.lg.jp/el/



日本文化そもそも
第2回目のテーマは「衣」。

民俗学者であり
近畿大学名誉教授の
野本寛一先生に
「私たちは何を食べてきたのか?」
をテーマに講演して頂きました。

先生はフィールドワーク重視の
研究手法に
忠実なことで知られます。

講座の中でも、
その土地その土地で
出会った人々の声を交えて
お話してくださり、
親近感の沸く
和やかな講座となりました。

会場は京都市中京区にある「こどもみらい館」。

6月ということを忘れてしまいそうなくらい日が燦燦と照らす中、
日傘やハンカチ片手にお集まり頂いた皆さま、
本当にありがとうございました。

野本寛一先生 主要論著
『焼畑民俗文化論』
『生態民俗学序説』
『熊野山海民俗考』
『稲作民俗文化論』
『共生のフォークロア・民俗の環境思想』
『海岸環境民俗論』
『近代文学とフォークロア』
『人と自然と・四万十川民俗誌』
『山地母源論1』
『栃と餅・食の民俗構造を探る』
『神と自然の景観論』
『民俗誌・女の一生―母性の力』
『生態と民俗・人と動植物の相沙譜』



第1部 講演
野本寛一氏
―私たちは何を食べてきたのか?―
優しくわかりやすく語ってくださる
野本先生。

―はじめに 食の現代状況―


新聞を開けば食に関する話題が
取り上げられていない日は
無いといって良いほどで、
人々の食に対する関心が
非常に高いことが窺えます。

例えば、
日本の食糧自給率の低さの問題、
輸入による飽食と廃棄の問題、
産地偽装、残留農薬、
インスタントや冷凍食品依存、
孤食(個食)の問題等、
これらは全て生活していく上で
身近な問題ばかりです。

人が「食」によって
生かされているのだという事実を
改めて実感させられます。

この、人の生活と切っても切り離せない「食」。

そこに対する人々の想いも、過去から現在へと
確実に変化しています。

過去の人々が食に対して
どのような関心、想いを抱いていたのかを知ることで、
現代の食問題の解決策や、
自身の生活を今一度見直す良いきっかけとなることでしょう。

栃の実 
(撮影:長野県飯田市上村)

栃の木は落葉性の高木。
北海道から九州で見られる。栃の実は大きいが、
サポニン・アロインを含有するので、
それらを除去しないと食べられない。
縄文時代から食料として重視されていた。
 
栃アンボ
(撮影:長野県下水内郡栄村(秋山郷))

 

 【栃の実の食べ方】

・粉にしてなめる

・掻き粉(かきこ:熱湯を注いで掻く)

・ 団子(練って固めて、丸める)

・ようかん(テングサにトチの粉を混ぜる)

・お粥(トチの粉を粟、稗、米、キビ等とまぜる)

・餅(戦前のトチの割合が多く、モチ米の割合が少ないので、
 乾燥した栃餅の隅を持つと割れて落ちた。)

―採集食物―


先生がお話を始める前に
まず回覧されたのは栃の実です。

この実は、
ドングリの実を一回り大きくして
丸くしたような形をしています。

栃の実は縄文時代から
日本人に食されてきました。

縄文時代には、
人々は集団生活を送って
居食住を共にしていました。

その名残ともいえるのが、
栃の木の集団管理です。

日本人は、
栃の林を村で集団管理し、
栃の実が実る生(な)り年に採集し、
実らない裏年の為に
貯蔵していました。

このように人々に重宝されてきた
栃の実ですが、
実は意外なことにこの実には
強い毒素があるのです。

その為、
灰を使って毒素を除去し、
その後煮沸、最後に
水で晒す必要があります。

このように、食すまでに
非常に手のかかる食物なのです。

それでも苦味のある栃の実が
現代にまで食され続けてきたのは、
日本人が
好む味覚だからなのでしょう。

静岡県には
「栃を切る馬鹿植える馬鹿」
という言葉があります。

栃の木が育って多くの実をつけるには、
人間の代にして3代必要だ
といわれている為です。

また、このように貴重で
重宝された栃です。

岐阜県では昔、
栃の木を1本嫁入り道具
(持参金)として
持ち込んだといわれています。

今となれば非常に面白い話ですが、
当時の人々がそれほどまでに
栃の実を大切に思い、
扱ってきたのだということが分かります。

栃は、モチ米に混ぜて栃餅として食べる他、
団子にしたり羊羹やお粥にしたりと
様々に調理されていました。

また、そのまま粉にして舐めてもいたようです。

採集食物は、もちろん栃だけではありません。

トコロ(野老)の根
(撮影:新潟県山北町山熊田)

ヤマイモ科ヤマイモ属。
ヤマイモなどと同属だが、
タンニンを含むので
アクヌキをして食べる。

神饌 
(一幡神社神饌:静岡県牧之原市)

みかん・トコロ・栗をお供えする。

日本人はコナラ、ミズナラ、シイ、クリ等様々な木の実を活用していました。

また、蕎麦やトコロも好んで食されていました。


―栽培食物―

ヤツガシラ(里芋) 
(撮影:浜松市天竜区春野町)

ヤツガシラに味噌と砂糖を
混ぜて付けて焼いて食べる。
里芋の雑煮 
(撮影:鹿児島県肝属郡錦江町安水)

里芋だけで雑煮を作っていた。
※日本人は里芋の粘着性が好きで、
それが穀物のモチ種の
開発につながったという説もある。

採集食物に比べて、人の手で収穫の管理をし易いのが栽培食物です。

その代表的なものがイモや、イネです。

これらは、人々の食生活を以前に比べ安定させ、
全国各地へと広がりました。

イモの中でも里芋は特に日本人が
好んで食していたものです。

里芋は、イモ、葉、茎の全てを食べることができます。

また、戦国武将はズイキ(里芋の茎)を
畳の代わりとして敷いて危急に対応していたそうです。

里芋を好んで食していた日本人ですが、
その粘着性につながるモチ種の穀物を
好んで食べていたという事実はとても興味深いものです。

里芋の粘着力が餅への執着へと繋がっていったのです。

―餅の力―


縄文時代から好まれていた栃の実は、現代において栃餅≠ニしてよく目にします。

餅にするという調理方法は、栃の他の調理法に比べると、
より日本人の愛着が強いのだということが窺えます。

餅の歴史はとても長く、なんと平安時代に京都で、餅屋が専門職として成立していたほどです。

モチ米を初めとするモチ種は特にアジアの人々に好まれています。

稲の中でも特に餅種へのこだわりがありました。

その根源となるのは、餅の粘着力によるものです。

各地域には、餅に対する人々の強い想いが今も色濃く残っています。

その一例として、静岡県牧之原市松本に昔から伝えられる
「年とり餅」があります。

これは3月30日につくる餅で、
成人の手の平を広げたほどの大きさの丸餅を
ミゴ(藁の芯)で切って食べます。

この餅には、
1つの釜でモチ米を蒸し、搗いた餅を家族皆で共食する
という重要な役割があります。

つまり共同体の絆を強める為の儀式といえるのです。

このような事例は家族単位だけでなく、
村落など広い範囲においても、形式は違えど全国各地で見られ、
そこにはやはり「餅」が登場するのです。

年とり餅 
(撮影:静岡県牧之原市松本)

箸を使わず、藁(わら)の稈心
(みご:藁の芯)で餅を切り分けた。
トシネ
(撮影:宮崎県東臼杵郡椎葉村)

トシネは家族全員に
分ち与えられる餅で、
他人に食べさせてはいけないと
伝えられた。
   
コトの神飾り・コトの餅 
(撮影:兵庫県丹波市青垣町)

神へのメッセージ
「全員でコトの餅をこの箸で食べたぞ」
「霊力も強めたぞ」「共同体の紐帯も強めたぞ」
   
鏡餅づくり
 (撮影:滋賀県伊香郡高月町磯野)

一斗二升の鏡餅をる

鏡餅のお渡り・分割 
(撮影:滋賀県伊香郡高月町磯野)

戸数に対して均等に分ける。
鏡餅・鏡餅の分与
(撮影:滋賀県伊香郡高月町尾山)

正確に切り分け、くじ引きで取る。

里芋や餅など、日本人が好む「粘着力」。

そこには、味覚の好み、という一言では片付けられない人々の
願いや想いが込められているのです。

餅は、生命維持力や結集力の象徴として扱われてきたのです。


―日本人が好む香り・色・食感―

カジメ(アラメ)
(撮影:静岡県牧之原市大江)

カジメは褐藻の一種で、コンブ目コンブ科の海藻。
味噌汁などの汁物に入れて食される。
※同じ海藻をアラメともカジメとも呼ぶ地域もある。

栃の実には、なんとも言えぬ
口中刺激と香りがあります。

しかし
この口中刺激を含んだ香りが
旨みとして好まれています。

現代においても
珈琲が好まれていますが、
それも口中刺激を好む
日本人の嗜好性といえます。

一方、食感においては
スティッキーフード
(いわゆる、ネバネバとした食感のもの)を
好む傾向があります。

餅はもちろんのこと、
納豆1つとっても
その種類の豊富さに
驚かされます。

納豆専用大豆を
わざわざ栽培するほどの
手の込みようです。

関西地区においては
おぼろ昆布や
とろろ昆布作りにも
松前昆布、
利尻昆布など種類を
分けて使う等こだわりがあります。

また、和食においては
餡かけ
というトロッとした調理法が
好まれています。

これは葛を上手く加工して
考案された調理法です。

温海蕪(あつみかぶ) 
(撮影:山形県鶴岡市菅野代)

色においてはひし餅に
見られるように、
白、緑、赤、黄色と
いったものが好まれます。

緑といっても鮮やかな
エメラルドグリーンの
ような色ではなく、
よもぎのような緑です。

赤は小豆や赤かぶのような色、
黄色はキビや粟のような色です。

特に赤はめでたい色として
大切にされてきました。

小正月には小豆粥を食べ、
神事としての占いにも
小豆粥が用いられてきました。

―結び 京町家の暮らしと食―


最初に述べたように、現代における食問題は多岐にわたり、
直接的に生活に関わることの為、非常に注目を集めています。

そこで、「スローフード」「スローライフ」という言葉が
流行語のように現代生活に響き渡っています。

しかしながら、
このスローフード、スローライフという言葉は、
日本人の生活の中に昔から自然に根付いていました。

京町家を例に見ても、
四季の移ろいに歩調を合わせるようにして、
無理なく様々な工夫が組み込まれていることがわかります。

着物だけでなく障子や衝立ひとつにも、
季節に合わせた種類や様式があります。

それは食器や花器にもいえることで、
季節に合わせて変える必要のないものも変化させていました。

夏には風鈴も登場します。

こうして、人々は季節の移ろいに
自身の生活を合わせ、様式を変え、
またその変化を楽しんできたのです。

これこそが私たちが過去から
自然と身につけていたスローライフです。

また、食に関してぜひ
思い出して頂きたいのは「骨正月」の精神です。

骨正月は二十日正月とも呼ばれ、
正月の祝いに用意した鰤などの骨を粉化し、
大根などとかす汁にして食べるもので1月20日を指します。

こうして、ありとあらゆる食材を 活用していた時を
思い出して頂きたいのです。

食材を大切にする気持ちや、家族で分け合う喜び、
健康への祈りがそこにはあります。

日本人に調和した
スローライフ・スローフードとは、
海外の真似をすることではなく、
実はすぐ手の届く過去に確かに存在しているのです。

全てを学ぼうとするのは困難なことですが、
全てを知ろうとする必要はありません。

何を次の世代に受け継いで
いかなければならないのか、それを考えることが大切です。

手の届く過去が遠い過去になる前に、
ぜひ今のうちに学び、
今のご自身の生活を見直すことから始めてみては如何でしょうか。




第2部 体験
―自然の味を試食しょう!―

今回の講座では、
参加者全員にお箸と茶碗を持参して頂きました。

石臼体験の為です。

今回は実際にこの体験をして頂き、
過去の人々の感覚を少し味わって頂きました。
 
まずは炒った小豆の粉挽き体験です。

石臼を見たことがあっても
実際に挽いた経験のある方は少なく、
先生のご指導のもと
皆さま丁寧に石臼を回していらっしゃいました。

実際に使ってみると、単に回せば良いわけではなく、
回す速さや石臼の中央の穴に入れる小豆の量など
細やかな調整が必要です。

小豆を入れすぎると溢れてしまい、
入れる量が少ないと挽くのに時間がかかってしまいます。

小豆を入れる左手と石臼を回す右手、
この両方のリズムがぴったりと合うことで
上手く粉が挽けるのです。

最初は戸惑っていた皆さまも徐々にコツを掴まれ、
スムーズに回せるようになると
自然と笑顔がこぼれました。

参加者が石臼を1周回す度に、
会場には何とも美味しそうな小豆本来の香ばしい香りが広がり、
味の想像も広がります。

石臼でゆっくり挽くと
下から粉が出てきます。
この方は小さい頃に
よく石臼を挽いたとのこと。
いろいろと教えてくださいました。
炒った小豆を挽いた粉
こちらは市販の三温糖。
昔は柿の皮を
小豆と一緒に挽いて甘みとしていたそうですが
今回はこの三温糖を使いました。

茶碗に小豆の粉が配られました。

「それではまずは、皆さんが挽いた小豆の粉を直接舐めてみてください。」

先生の言葉を受け、参加者は少し緊張気味に粉を口に運びます。

すると意外なことに、殆どの方から「おいしい」との声が上がりました。

私も慌てて口にしたのですが、本当に美味しいのです。

粉を口に含むと、僅かな甘みと小豆の香ばしい香りが口いっぱいに広がりました。

何度も口に運ぶ方もいらっしゃいました。

「では次に、この粉に少しお砂糖とお湯を混ぜてみて下さい。」
先生の言葉に疑いを持つ方はもういらっしゃらなかったのではないでしょうか。

次にどんな味に出会えるのか楽しみだというご様子で、
皆さまはお湯の前に列を作りました。

お湯を加えると、白っぽかった粉があっという間にふんわりとした濃い赤に変わり、
その変化を隣の方同士で楽しそうに話している様子がみられました。

「おしるこみたい」という声がどこからか聞こえましたが、
実際に食べてみてもおしるこの味に似ているのです。

先生曰く、これはおしるこの原形ではないかと言われているそうです。

それぞれおうちから持ってきた
お碗とお箸でいただきます。
お湯で溶くと
白かった粉が
ぱーっと小豆色に変わります。
うんうん、美味しい!

続いてはったい粉で試して頂きました。

はったい粉は大麦を煎って挽いたもので、
梅雨の時期に食べると良いとされています。

乾燥作用があり、体を乾燥させる効果があるのです。

それを利用して、屋敷の周囲に撒いてマムシ除けとして
利用する地域も多く存在します。

はったい粉を手にした方々からは、
「懐かしい」との声がちらほら上がっていました。

はったい粉も、まずは舐めてみます。

そして、こちらもお湯に溶かしていただきます。

どちらかというと珈琲に近いような香ばしい香りのするはったい粉を、
皆さまは美味しそうに口に運んでいらっしゃいました。

はったい粉
ん〜。
懐かしい味。

昔の人々が美味しいと感じるもの、
大切に扱った粉、色、食感・・・
そんなものを五感を使って体験するちょっとしたこの試食会は、
和気藹々とした雰囲気の中にも
過去の想いを少し垣間見る時間となりました。



第3部
ほっこりタイム


体験コーナーでは
あちこちをまわって
丁寧に楽しく教えてくださった先生ですが、
この質問タイムでも、
とても丁寧に分かりやすく
お答え頂きました。










Q. こんなに愛される栃ですが、植林はしなかったのですか?
A. はい。積極的には殆どされていませんでした。
栃の木は、成長が非常に遅い木なのです。
植えたとしても、ある程度の量の実を収穫するには人間の世代で3代だと言われています。

また、この木は非常に水を好みます。
それ故、谷筋など足場の悪いところで生育するのです。
(しかし、防災上非常に重要な役割を担ってくれます。)

また、水の近くに生えるのでもし木を伐採すると問題が起こります。
花がなくなることで、虫が寄らなくなり、周囲の魚が姿を消してしまうのです。
   
Q. 栃木県と栃の結びつきはありますか?
A. 実際、栃と名のつく地域は山から平野部にわたって日本中にあります。
これは、栃がかつてはそこにあったことを意味しているのだと考えられます。
ですから恐らく栃木県もその1つだと考えられます。

しかし、栃の木にはあらゆるものに加工し易いのです。
その為、栃の実が食糧として大切に扱われていた時代を終えると伐採されたのです。
   
Q. お餅に見られる粘着力は日本人の好みとしてありますが、
その一方で京都で好まれる鱧やさば寿司などは
さっぱりしているのではないでしょうか?
A. そうですね。さっぱりとした食もあります。
さっぱりしたものを好まないというわけではありません。

色々な趣向がある中で、
日本食では餡かけが至る所で使われていることや、
昆布へのこだわりや餅文化などをみると、
日本人はとりわけ粘着性やヌメリ感が好きだということがわかります。

また、粘着に込める想いの強さも
様々な行事や神事を例に見てもわかります。
   
Q. 栃の文化は日本以外にもありますか?
A. 恐らくあると思います。
私は日本の栃を中心に調査してきましたので
はっきりしたことは言い切れませんが、
何らかの利用方法でそこに住む人々と関わっていると思います。
   
Q. ドングリも木の実ですが、これは食べないのでしょうか?
A.

実は、ドングリという決まった植物はありません。

クヌギ・ミズナラ・コナラ・アラカシ・マテバシイ等のことを
まとめてドングリと呼びます。
コナラ・ミズナラ・カシ類はタンニンを除去して盛んにたべて来たのです。

実際、近畿地方ではミズナラ・コナラの両方を食べていました。
鹿児島では屋敷にマテバシイを植えて、その実を粉にし、
だんごにして食べていたという例もあります。
宮崎県西都市ではカシの澱粉で作った
固形物を酢味噌で合えて食べていました。

   
Q. 昔は、甘みを出す為に砂糖ではなく柿の皮を使っていたと
聞いたことがありますが本当でしょうか?
A. もっぱら柿の皮でした。

子どもは柿の皮をおやつとしてポケットに入れて遊びに行ったそうです。
柿のことについて少し触れますが、最近では渋柿がそのまま
ほったらかしにされている光景をよく見ますが非常にもったいないことです。

また、中身も熟したらはったい粉に混ぜて
食べると非常に美味しいのです。
その他にも渋柿を一晩囲炉裏の灰に埋めておきます。
すると甘い柿に変わります。

こうして、使えるものをとことん使うのであれば、
日本の食糧自給率は軽く70%を超えるでしょうね。
   
Q. 使えるものをとことん、という話で思い出しましたが、
伊勢たくあんは、ナスの捨てる木を一緒に漬け込んだから
おいしいという話を聞いたことがあります。
A. それは知りませんでした。
伊勢へ行ったらぜひ教わってきます。

たくあんは地方によって色・形・味などに個性があります。
鹿児島県には干した大根を杵で搗いて
塩をもみ込むという例があります。

こうして、あなたのように色々知っている方が
後世に伝えていかなくてはもったいないですね。
   




サラダ隊 京水菜 の 思ったこと
粉を舐めるということが
食事として成立し、
またそれをご馳走だとする時代が確かにありました。

いくら日本人の先祖のことと言われても、
最初、この感覚に違和感のあった参加者も
いらっしゃったのではないでしょうか。

しかし、実際に人々の食との付き合い方や
石臼で粉を挽く大変さを知ることで、
目の前の粉が大変貴重で
愛しいものに感じたのではないかと思います。

考えてみれば、現代において
小豆を炒って、石臼で挽いて
食すことはほとんどありません。

その食材本来の
味・香り・食感を知ることが出来るなんて、
それ自体が贅沢なことだとも言えます。

現在、目の前にある食材の辿ってきた道のりや本来の姿、
味、食感等と対面する機会は一体どの位あるのでしょうか。

スーパーへ行っても魚や肉は切られパックに詰められ、
色々な調味料は瓶詰めや袋詰めにされ、
野菜は同じ形のものが綺麗に陳列されています。
また、ハウス栽培によって
季節関係なく野菜や果物がいつでも手に入ります。

これはいつの頃からか人々が便利さと豊かさを求めてきた結果です。

それによって「豊かさ」は手に入れましたが、
食の本来の姿はどんどん手の届かないところへと遠ざかっています。

便利であるのは決して悪いことではありません。

食の姿が見えなくとも、それで良いという意見もあるでしょう。

しかし、人はそもそも、それなしでは生きて行けないほど、
食が非常に身近なものだということを
今一度思い出さなければいけないのではないでしょうか。

生命維持の根本(食)を見失うことで、
病気を自ら惹き起こす事態にならないとも言えません。

新聞で最近毎日のように取り上げられる食にまつわる様々な問題は、
食への想いを忘れかけている現代人への、警告なのかもしれません。

これが本当に手に入れたかった「豊かさ」なのでしょうか。

なぜ、日本人は食における味や食感や色など曖昧なものを好むのか。

それについて私は、
その食について想いを込める為の余白を、人々が求めたから
ではないかと感じます。

つまり鮮やかな色や明確な味や食感では答えは1つしかありません。

しかし、それらが曖昧であれば、人々は想像し、
そこに自分なりの意味や想いを込めることが出来ます。

そうすることで、食に生かされていることを実感し、
食を大切に使いこなし、また四季に合わせて、
食材にも自身にも無理のかからない方法で
生活する知恵を生み出してきたのではないでしょうか。
 
日本人は言い換えれば、想像力豊かな人種なのかもしれません。

そうであれば、今、目の前に並んでいる食材の
少し前の過去を想像することは出来るはずです。

また、もう少し過去に目を向け、
私たちの先祖が大切に大切に受け継いできた
食への想いを想像して頂きたいと思います。

本当の「豊かさ」はきっとそこにあります。

先生のおっしゃったように、
「学ぶべきことは、すぐ手の届く過去にある。」のですから。


当日のアンケートから
地についたお話でたいへんよかった。
高度経済成長期以前の村落が持っていたムラの智恵に大切なものが
多いことを教えていただいた。
今の世代がもっと体験すべきことが多いと思った。
楽しいお話をありがとうございました。なつかしい味、珍しいお話。
あじさいを飾ると湿気に良いは初耳でした。
日本の昔からの智恵がこれほど役に立っていたり、
今のエコの時代にも通じるものがあり、勉強になりました。
参加費もう少し安いと嬉しいです。
はったい粉、思いのほかおいしかったです。
家で子ども達にも食べさせてみてあげたいなと思いました。
お話とってもおもしろかったです。
学校教育では学び得ない日本文化の原点を知る機会となり
大変に勉強になりました。
小さい頃の事を思い出します。
あの頃から今の生活を考えますと、
良いのやら悪いのやらいろいろ考えさせられます。
今安穏に過ごして居ますのが不思議な感じがします。
石臼がなつかしく、母を思い出しました。
小豆の粉のねったのはめづらしいでした。
お汁粉のもとと聞いてなるほどと感心致しました。
いろいろお教え頂き楽しゅうございました。
お話し大変興味深くうかがいました。
暑い中を歩いてきたのでお茶のふるまいがとてもうれしかったです。
準備が大変だったと思います。感謝の気持ちで一杯です。


スタッフ後記
小学生もスタッフとして大活躍!
エプロンが似合っていました。


実は今回、私たちの中に小さなスタッフが
1人参加していました。小学生の女の子です。

和の学校では「日本文化そもそも」の他に、
親子対象の「山であそぼ」という
日本の四季(自然)や手づくりなどを
体験する活動も行っています。

そこに参加してくださっていた方が親子で、
今回は日本文化そもそものスタッフとして
お手伝いをしてくださったのです。

大きな荷物を、
大人スタッフに混ざってせっせと
会場のある4階まで運びます。

その小さなスタッフの姿に、
気が付いたら皆荷物の重さも忘れて
笑顔になっていました。

エプロンをして石臼体験の
お手伝いをする姿もサマになっていました。

夜なべをしたのはこの人。
石臼は急がず
ゆっくりと丁寧にまわします。

さて、この石臼で小豆の粉を
挽くという作業ですが、
大変時間のかかるものなのです。

参加された方も、この苦労を知ってさらに
小豆の粉の美味しさが
増したのではないでしょうか。

ですが、体験コーナーの時間は限られています。

参加者全員の小豆を挽くのは困難です。

そこで、実は前日に夜なべをして
ひたすら石臼を回していた人がいます。

和の学校の吉田さんです。

私も体験しましたが、
どんなに急ごうとしても決められた時間に、
極わずかな量しか粉にすることができませんでした。

粉を挽く作業は時間と忍耐力の勝負です。

私なら途中で挫折していたかもしれません。

京都府スポーツ生涯学習室の米山さん。
今回の京都府との共催に
導いてくださった方です。
毎回、スタッフとして
大活躍してくださっています。
 
受付も毎回大変な仕事。
お金を扱うので、緊張するのです。

しかしながら、
当日の朝に吉田さんは粉をどっさり、
何も大層振ることなく出していました。

その時は私も
その苦労を体験していませんでしたから
何も思わなかったのですが、

後で分かった時には思わず
「大変だったでしょう!」と
声を掛けていました。

吉田さんは、明るく笑いながら
「テレビ見ながら回していたから大丈夫!」と一言。

どんな想いで回していて、
こんな笑顔になれるのかと想像してみました。

それは、様々な想いだったのでしょう。

この回の成功を願い、
参加者の喜ぶ顔を想像し、
またそれだけ長時間対面していた小豆たちにも
愛着が沸いたかもしれませんね。

過去も今も変わらず、
人々の行動には
何か想いが込められてきたのでしょう。

和の学校もそうです。

スタッフとして参加する人の想いもありますし、
講座に参加される方々の想いもあります。

それらの様々な想いが終結して
毎回「日本文化そもそも」は開催されるのです。

そんな1人1人の想いを大切に、
これからもこうして目に見える形として
心に残る思い出として、
「日本文化そもそも」をより良いものにして参ります。

次回もどうぞお楽しみに。


日本文化そもそも レポート

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