※「サラダ隊」とは「こころ塾」の「和文化サラダ」開催時に結成された
ボランティアレポーターチームの名前です。
それぞれの感性で書かれたレポートをお楽しみください。


「日本文化そもそも」とは、
日本文化の根本を知り
「そもそもこういうことだったのか!」ということに気づき
暮らしに息づかせるために
今の世の中から忘れられていることを取り戻し
本当の意味で、心豊かに暮らすためのヒントを見つける講座です。


和の学校のこころ塾は今年度でシリーズ2回目を迎えました。

今年の「日本文化そもそも」は
日本人の生活により密着した「衣食住」にテーマを絞り展開してまいります。

お話を聞くだけでなく質問したり体験したりと、
参加して頂く時間を前回より多く設けております。

また今回は、
小さいお子さまをお持ちの方々にも気軽に参加して頂けるよう、
保育士の資格を持ったボランティアスタッフが
講座の時間はお子さまのお世話を致します。

現代の暮らしを豊かにするヒントがたくさん詰まった「日本文化そもそも」に、ぜひご参加ください。


平成21年6月〜平成22年1月 講座内容と各先生のプロフィールはこちら
受講申込も受付中!

読売新聞ホームページでも掲載されました。


日本文化そもそも  平成21年6月14日(日)


  その1
〜日本人の衣服〜


講師: 井之本泰氏(元京都府立丹後郷土資料館資料課長)
会場:京都府正丁
 
レポート:サラダ隊 京水菜   写真:吉田明彦

主催:和の学校  共催:京都府

京都府のホームページ内の

「京都eラーニング塾」で

動画配信しています。


京都eラーニング塾
http://info.pref.kyoto.lg.jp/el/

日本文化そもそもシリーズも
2周目を迎えました。

その第1回目のテーマは「衣」。

元京都府丹後資料館資料課長である井之本泰先生に
「庶民は何を着てきたのか?」
をテーマに講演して頂きました。

会場は国の重要文化財にも指定されている京都府正庁。

いくつもの着物が展示されると、
室内に差し込む
柔らかい日差しを照明のようにして
今回の講演が幕を開けました。


第1部 講演 
井之本泰氏
「―庶民は何を着てきたか?―」
藤織で作られたシャツを着て
楽しくわかりやすく語ってくださる
井之本先生。


着物の歴史を学ぼうとすれば、
資料は多く残っています。
そのほとんどは貴族が
身に付けた絹に関するものです。

しかし、絹のような高級品が
手に入らなかった私たち庶民は、
いったい何を着ていたのでしょうか。

こうした身近なものに関心を向け、
それに触れることで、
自身を振り返る良いきっかけとなるでしょう。

「さて、雰囲気を出すために、
まずは今日こんなものを着てきました。
僕のステージ衣装です。」

そう言って先生が着た麻のような薄茶色のシャツ。

初めて目にするそのシャツに、
参加者の目は釘付けになりました。

こうして始まった講演は、
先生の会場を沸かせる冗談を交えながらも
とても心に染みる時間となりました。

井之本泰先生は、
2009年3月まで丹後資料館の
民族資料担当として 30年勤務されていました。

紙すきや藤織りなどの織物、漁業や行事などを
おじいさんやおばあさんから教わり、
それをもとに数々の展示や調査を行ってきました。

こうしてごくありふれたお年寄りの声を拾い集めることで、
庶民の生活がはっきりとみて取れます。

また、そこには人々の生活の知恵や想いが
しっかりと込められているのです。

先生のシャツは藤織りで出来たものでした。

しかし藤の素材が物珍しく、
絹の着物の方が身近に感じてしまうのは、
こうした庶民の生活や想いが
現代に語り継がれたり受け継がれたりしていない
ということの証拠でもあります。


―今の衣服と昔の衣服の違い―

先生が丹後の紙すきについて調査していた頃、
そこに住むお年寄りがこう言ったそうです。

「このソラに、ノノを織ってる。」

ソラ(空)とはその地より上の地である
上世屋(かみせや)を指し、ノノとは布のことを指します。

興味深いのは、おばあちゃんたちは
それを「ノノ」と呼び、普段着ている木綿布のことを
「モメンモン」と区別していることです。

これは、おばあちゃんたちが小さい頃、
木綿以前の衣料を着ていたという証拠です。

早速ソラに出向いて先生が出会ったノノが、
藤で出来たものでした。

それは、今私たちが着ているものとは違い、
厚みもあり重そうなものでした。
これが「藤織り」です。

現在丹後は、丹後縮緬など絹織物で有名ですが、
山間部では木綿以前の「藤織り」の技術を
伝承するおばあちゃんがまだ6、7人いたのです。


「今朝、採ってきた藤のつるです」
藤蔓の中皮の部分。アラソ。
竹で手づくりされた「コウバシ」。
これで藤の中皮をしごいて
不純物や汚れを落とします。
藤織の布をバイヤスに縫った「スマブクロ」。
お米を運ぶための袋として使われていました。
硬い藤の繊維を伸縮性のある仕立て方で
使いやすくしたもの。

―木綿以前の素材 〜藤織り〜―

藤織りは、
山に自生する藤づるの皮をはいで、
糸を作り、これで織った織物です。

古くは弥生時代の遺跡から
この織物に類する出土例もあり、

万葉集にも、
「須磨の海人の塩焼衣の藤衣」(3巻413)、
「大君の塩焼く海人の藤衣」(12巻2971)など、

藤が海人の衣服として
使われていたことがわかります。

この藤織りは北海道と沖縄をのぞく
ほとんど全国各地で織られていました。

そしてその工程は
1年の日本の四季を通した
生活の中にも
上手く織り込まれていたのです。

@雪の無い5月から7月にかけては、
 山に自生する藤を伐ります。

 (この藤は、着尺1反織るのに
 1ヒロの長さの藤が
 約70本も必要だといいます。)

A伐り取った藤は
 水分のあるうちに
  素早く皮を剥ぎます。

 中皮を用いる為、
 表皮を取り除くのです。

Bそして今度は、カビを防ぐ為に
 出来るだけ早く干します。

その期間、
田植えや稲刈りをして過ごします。

秋になると、
C今度は灰汁炊き(あくだき)
  をします。

 これは、中皮を水に浸して柔らかくし、
 木灰汁を用いて大鍋で
 4時間炊く作業です。

D炊き上がった中皮を
  川ですすぎ、
 竹で出来たコウバシという
 V字型の棒ではさんでしごき、
 不純物や汚れをおとします。

 この頃には田んぼの稲刈りも終え、
 米ぬかが出ます。

Eその米ぬかを溶かした湯に、
 藤の繊維を浸し、
 柔軟性を与えた後、
 竿にかけて干します。

ここから先は、
冬になり家屋での作業です。


F繊維を、結び目を作ることなく
 長くつないで糸にする
 藤績み(ふじうみ)

G績まれた糸を湯に浸して柔らかくし、
 糸車で右撚りに撚りをかける
 撚り掛け(よりかけ)

H撚られて糸車の鍾に巻かれた糸を、
 木枠に巻き取る枠取り(わくどり)

I巻かれた糸枠12個を用いて、
 整経台を使って縦糸を決められた本数
 (縦糸の本数は、着尺300本、帯264本)
 に整える整経(へばた)

J荒筬を用いて縦糸を男巻に巻いた後

K綜絖と筬へ通し織り付け
  布に結ぶ機上げ

そしてようやく

L機織りをします。

この機織りは、
着尺1反織るのに3〜4日もかかります。

こうして藤織りのノノが出来上がり、
また春には山へ藤を伐りに行くのです。

綿
収穫したときには
中に種が入っています。

―木綿の普及―

江戸時代の中頃に
木綿が一般に普及するに伴って
庶民の衣料素材は
それまでの藤や麻といった木や草の皮の繊維から
綿へと変わっていきました。

綿の栽培が出来なかった高冷な山間部では、
明治・大正期に入ってもなお藤織りが行われていました。

しかし、時代の流れのなかで次々と姿を消していったのです。

木綿は種子毛繊維です。

木綿が定着する以前の藤は、
木の皮を利用した樹脂繊維、
麻は草の皮を利用した草皮繊維です。

藤や麻以外にも、
全国各地では様々な草木を用いた布作りが見られます。

このように、種子や木の皮・草の皮など、
身近にあるありとあらゆるものが
布作りに活用されていたのです。

繭(まゆ)
庶民には高嶺の花でした。

一方、着物の素材として
現代にも多く残されている絹は、
蚕が繭(まゆ)を紡いだ繊維をほぐしたものです。

絹が庶民に定着しなかった理由は、
その作る過程にあります。

蚕は「お蚕さん」と呼ばれることからも、
大切な存在として
丁寧に扱われていたことがわかります。

なぜならこの蚕を育てるまでに
25日もの守りが必要なのです。

また、湿気に弱いので
雨にあたらないよう注意が必要です。

現在日本で蚕を飼育している例は
約1,000件あります。

京都府下でも3件あります。

しかし、その数は年々少なくなっているのが現状です。

それは、飼料となるクワが不足し、
殆どを人口飼料に頼らなければならないことや
守りなどの手間が大変な為です。

1個の繭からは1,200mの糸で出来ますが、
1反の布を作るのに、蚕が2,710頭必要なのです。

これには、98kgものクワが必要となります。

現在では絹のおよそ90%を
中国やインド、ブラジル、タイなどの国々からの輸入に頼っているのです。


裂織
縦糸に麻糸、古くなった布を細く裂いて横糸にして織った布。

 
ドンザと刺し子の両方で作られた着物。
 
ドンザ
木綿の小布を何枚も重ねて縫い合わせた
厚みのある着物

刺し子
布地に糸で幾何学模様などの図柄を
刺繍して縫い込んだ布。
 
刺し子の着物
ドンザ
 
「京都の左京区の久多のおばあちゃんに頼み込んで
もらってきた雑巾です。
雑巾ひとつとっても、この布への愛しみを感じます」

―布を大切に使う―

布が出来上がるまでには、
四季を通しての長く手間のかかる工程があります。

また、その材料となる
木や草や綿は
安易に手に入るものではありません。

それは絹においては尚のことです。

人々は布を作ると共に
自然と長持ちさせる方法も
身に着けてきたのです。

先生が講演前に
いくつもの着物を丁寧に取り出し 、
展示してくださっていました。


これは裂き織りの着物です。

「裂き織り」とは、
古くなった布を
細かく裂いて横糸にして、
麻糸などを縦糸として
共に織り上げた、
いわば再生布です。

地域によってサッコリ、サックリ等と
呼び名があります。

ズッシリとした質感と
偶然生まれる
色彩のコントラストが魅力の、
温かみのある着物です。

その他にも、
刺し子、ドンザといった
着物も展示されました。

「刺し子」とは手芸の一分野で、
布地に糸で
幾何学模様などの図柄を
刺繍して縫いこむことです。

これは保温、補強のため、
木綿布に木綿糸で補強したものが
始まりといわれています。

展示された刺し子は、
藍色の木綿布に
白糸で波縫いの刺繍がされていました。

驚くことにこの細かい刺繍は、
先生が以前上世屋(かみせや)で
おばあちゃんに頂いたという、
雑巾にまで丁寧に施されていました。

一方、「ドンザ」とは
木綿の小布を何枚も重ねて
縫い合わせた厚みのある着物です。

つまり、補強の為に当て布をしているわけです。

中には、さらに補強の為に
刺し子縫いをしたものもあります。

かつては漁に携わる人達の
仕事着として使われていた為に
とても丈夫で保温性の高い着物です。

多少の雨や潮水ならば
肌まで通さなかったといわれています。

このように、様々な工夫を重ねて
長年使われた着物たちには
表情があります。

当て布や補強のための
細かい刺繍などから、
それらを身に着けていた人々の
使えるものを大切に使う
という想いも伝わってくるようです。

以前先生が
丹後の漁村部を回った時、
あるおばあちゃんが押入れから
みかん箱にたくさんの布切れを
丹念に、丹念に重ねてあるものを
見せてくれたことがあるそうです。

丹後では、
このような状態のことを
「たばっとく」と表現します。

これは、小さなハギレでも、
しまっておいて、いつか使えるように
という考え方の現われです。

つい最近まで
「たばっとく」という言葉が
生き生きと使われ、
ハギレが生きていた時代が
確かにあったのです。

それを、そのみかん箱の
ハギレはしっかりと語ってくれているのです。


―布の一生―

人が産まれて
まず身に着けるのは
オシメという布でした。

その後成長するに従って
その布はフンドシ、
オコシ、マタフンドシなどへと姿を変え、
最後にはゾウキンとして
また活躍するのです。

こうしてみてみると、
布の一生が
人の一生と重なり合っていたことが伺えます。

そもそも、布が出来上がるまでの工程も、
日本人の1年の
四季を通した生活の中に
上手く織り込まれていました。

人々は、布を身近なものとして
肌身離さず身に着け、
そして装ってきました。

ゾウキンひとつをとって見ても、
そこにモノ(布)を慈しむ心が
はっきりと表れています。

まるでそれは
自身の一生を慈しんでいるかのようです。

布はいわば、
その人の人生を映し出す鏡でもあります。


―最後に―

これらのお話は
全て私たちと同じように
普通に生活するおばあちゃんが
語っていたことで
なんら特別なことではありません。

ですが、
これら「あたりまえのこと」の大切さを
思い出してほしいのです。

布を通してみえてくるのは、
「モノを大切にする」という
本当に当たり前のことです。

ぜひ、裂き織りや刺し子や
ドンザ、その他の手の込んだ布を
見つけたのであれば見るだけでなく、
実際に触れて着てみてください。

そうしないとモノ(布)への愛着は
生まれません。

それらを近しい関係に引き戻して、
時に羽織ってみる。

こうして半歩でも一歩でも
自身から寄り添って頂きたいと思います。



第2部 
―昔の庶民の着物を着てみよう!綿をつむいでみよう!―

―体験@:裂き織りの着物を羽織ってみよう!―


先生の心に染みわたるお話の後、
講演中にずっと飾られていた裂き織りの着物を、
会場の希望者が実際に羽織ってみることになりました。

それらの着物はいくつもの小布を何枚も重ねて縫い合わせられており、
その偶然に生まれたコントラストが素晴らしいのです。

また波縫いの刺繍がなんとも美しく、立派な一種のデザインとなっています。

それを着ていた人の仕事の種類によって、背中に物を背負うのであれば
背中に当て布がされ強化してあったり、
肩に担ぐのであれば肩を強化されたりと、様々です。

昔は嫁入り道具として
これらの着物を2〜3枚嫁ぎ先に持って行ったのだといいます。

それが「働き者」であるという証にもなりました。

着物、つまり着る物というのは、その人の人となりを分かってもらうという意味もあるのです。
裂き織りの着物
ドンザと刺し子の着物
刺し子の着物を裏返して着て、表側でも着てみました。
 「着て、感じてください。」

そう言って先生はヨイショ、というような動作で着物を持ち上げ、受講者の肩に掛けました。

掛けた、という表現よりはむしろ、乗せた、という表現の方が合っているのかもしれません。

それほど重圧感のある着物なのです。

袖を通した受講者の方からは、「足ふきマットみたい。」「じゅうたんを着たみたい。」
という声が上がり、会場を沸かせました。

しかしすぐに、「重さが馴染んで、もう軽く感じます。

特に、首や手に馴染んでいくのが分かります。体がもうぽかぽかとしてきました。」
という反応に変わりました。

昔は「重さ」が暖かさや丈夫さの証でした。

つまり重い着物に袖を通すことに抵抗がなかったのです。

一方、今は「軽さ」が重視される時代と変化していることが受講者の反応からも分かります。

また、首や手に馴染んだのは、以前は「体を布に合わせる」という考えがあった証拠でもあります。

身にまとい、布に添わせ、労働をします。

そして何度も洗い、継ぎをしていくうちに体に布が寄り添ってくるのです。

不思議なことに、着物を身にまとうことで
講演中の時に飾られていたそれとは全く違うフォルムになり一体感が生まれました。

着物には人となりが出るということなのです。

先生がおっしゃるように、着てこそ、感じるものなのです。


休憩時間に展示品を触って、くわしく見る参加者の皆さん。


―体験A:綿を紡いでみよう!―

会場の後ろには「糸車」や「綿くり」という道具が並べられました。

どうやって綿が糸に変わるのかを、
実際に体験して頂くのです。

受講者には綿が配られ、
興味深そうに綿を頬に当ててみたり、
光にかざして繊維を確かめたりされていました。

まずはしっかり絡みついている綿をむしり取り、
中の種を取り出します。

(この種は「綿実油」として利用することが出来ます。) 

そしてそっと糸を引っ張り、 ちぎれそうになったら捻ります。

この作業が難しいようで
皆さんは真剣な表情になり苦戦されていましたが、
その様子に先生が
「小学校1年生になったつもりで!」と声を掛け、
会場を沸かせていました。


綿から種を取り出すのは意外と難しい作業です。

そこで、「綿くり」という木製の機械を使うと簡単に種と綿が分けることが出来ます。

また、綿から糸を取り出す作業も難しく手作業では時間が掛かり過ぎてしまいます。

そこで昔は綿うち屋さんが村々を回っていたのです。

種の入った綿を触ってみます。
種と綿をほぐしてみます。
綿の種と繊維がくっついて
なかなかうまく別々になりません。
綿と種を別々にするための「綿くり機」。
これを使うと簡単に別々になるのです。
手前に綿のついた種を持ち
ハンドルをぐるぐる回すと、こちら側に種、向こう側に綿がきれいに分かれます。
昔の洗濯機の脱水をするような感じです。

写真右の細くちくわ状に巻かれた綿が
糸をつむぐ時に適した形です。
繊維をときほぐし一定方向にしてちくわ状に形成します。

これは糸車に糸を引かせるのに適した形です。

 
受講された方々は最後に、
ちくわ状に整えられた綿を使って
糸車で綿から糸を引かせる作業をします。

糸車に向かって45度に体を向けるその表情は
真剣そのものです。

片手には綿をそっと持ち、
もう片手で糸車の車輪を回します。

そうすることで不思議と
綿から糸が導き出されて行くのです。

この様子に、驚きと喜びで
みなさんの顔が一気に綻んでいました。

 
出来た糸は最初に配られたカードに巻きつけて
お土産として持って帰ります。

実はこのカードには最初にもう1本、
既に糸が巻きつけられていました。

それは、綿が普及する以前の糸、つまり藤で出来た糸です。

このお土産は先生が事前に準備してくださっていたものです。

綿で出来た糸と、それ以前の糸、
その2つが巻きつけられたカードを受講された皆さんは
とても考え深気に見つめていらっしゃいました。

綿をねじりながら引っ張ると糸になります。
でもこれだと時間がかかりすぎます。
そこで、糸車を使います。
井之本先生が糸車をまわすと
するするっと糸がつむがれていきます。
参加者も、糸をつむぎます。
なかなか難しい!

第3部 
ほっこりタイム
都食品さんが提供くださった
「柚子琥珀(ゆずこはく)」。

清流の清らかさを現しています。

こちらは「式亭」で購入できます。


毎回、このほっこりタイムでは
質疑応答といった堅苦しい雰囲気ではなく、
先生と受講者の座談会、
といった和気あいあいとした時間になります。

特に今回は、井之本先生の
明るく気さくなお人柄も手伝って、
笑いの耐えない明るい時間になりました。

今回皆さんにご用意したお菓子は
都食品さんの「柚子琥珀」です。

姫路菓子博では茶道家元賞に輝きました。

川面のせせらぎの中に
柚子を浮かべたような
こちらのお菓子は、
清流の清らかさを現しています。

目にも涼しく、
口に運ぶと柚子の爽やかな香りが
口いっぱいに広がります。

梅雨の晴れ間の中、
一時の涼しい風を皆さんの元へ
お届け出来たのではないでしょうか。

Q. 麻の製品が多いように思いますが、庶民の着物は、もとは麻だったのではないでしょうか?
A. 確かに、麻で出来た着物が全てではありませんが、多いですね。
麻は畑作なので均一がとり易いのです。
藤のように山の条件によって収穫が異なるものですと、均一がとり難いのです。
ですので、麻は神社など神事的なことにも多く用いられる傾向があります。
   
Q. 以前、静岡の知人から静岡の特産品である
葛布の色紙掛けを頂いたことがあります。

でも、京都の特産品であるはずの藤織を京都で見たことがありません。
他府県のように京都でも府民が自分たちの織物であった藤織を
見聞きできるような環境が望まれます。
A. 作品としては京都でも確かに作っています。
ですがその数が多くない為になかなか目につかないのです。

丹後藤織り保存会では年に数回、藤織りの作品展を開いています。
   
Q. 庶民の織物をこれまで知りませんでした。
京都は高貴なものばかりが残っていますが、
私たち庶民は、身近なものにもっと目を向けるべきです。
A. 今日、私が言いたかったことをまとめてくださいました。
そうです。
今後は、こうした庶民のより身近にあった織物を知って頂き、
そして「あたりまえのこと」の大切さを、
ぜひ感じていただきたいと思います。
   




サラダ隊 京水菜 の 思ったこと

 「着て、感じてください。」

井之本先生が受講者のみなさんに
着物を着せる時におっしゃっていた言葉です。

この言葉には今回の講座の全てが詰まっていると感じます。

外から見て、眺めているのでは
そのものが一体何なのかわからないのです。

それは、ヌノなのかノノなのか、モメンモンなのか。

どんな人がどんな想いで何のために作ったのか。

以前、ある染色家の方が、
正藍染の人間国宝である千葉あやのさんの織った
布のハギレを大切にしている、
とおっしゃっていました。

「大切に」とおっしゃるので
額にでも飾っているのかと思ったら、
なんとそのハギレをズボンのポケットから
ひょいと取り出したのです。

「どうぞ触って、そして感じてください。」

そう言って私に手渡してくださったのです。

その時の意味が、今、ようやく分かりました。

布は身と離れたところに在るものではないのです。

身に寄り添って、そして馴染んで行くものなのです。

ただし、その為には、
その布の持つ意味や過去を感じ取ることが必要です。

それは、先生が講演前に
藤織りのシャツにそっと両腕を通したようにです。

着物が身に馴染むのではなく、
身を着物に寄り添わせるのです。

豪華絢爛な衣装や鮮やかで眩しい色彩は、
煌びやかで鮮やかで人の目を惹きます。

しかしふと、身近なものに目を向けてみるとどうなのでしょう。

麻の布や木綿の布、
そして藤織りの布がかつて植物だった頃の表情、
おばあちゃん達によって丁寧に、丁寧に形を変えていった様子、
おばあちゃんの想い、
それらのものを感じずにはいられません。

「着て、感じてください。」

この言葉には、
日本人が大切にしてきた
想いが込められています。

そこに身を置いて、
そのモノの持つ意味を
自ら迎えに行くということです。

それによって、モノを愛しく感じます。

モノを大切にします。

そしてそれが、
「あたりまえのこと」であり「大切なこと」なのです。

情報が多く、
煌びやかで眩しいモノが溢れる現代、
日本人がずっと大切にしてきた
あたりまえの日常が見えにくくなっているようです。

ですが、それは消えてしまったわけではなく、
気付きにくくなっているだけなのです。

ふと、すぐ身近なところに目を向け、寄り添ってみる。

実はあちらこちらに素晴らしい原石が、
輝きを放とうと私たちを待っているような気がします。

今回着せて頂いた着物は重いものでした。

ですが、着てみることでその重さは体に馴染み、
そして心にも染みていったのではないでしょうか。


当日のアンケートから
今まで知らなかった事がいろいろ判り大変面白いでした。

先生が使われる京都弁の「だんない(ざんない)」とか「せたろうて」の言葉は子どもの頃に年寄りが使って居りました。

わたくりもおもしろいでした。

いろいろ楽しいお話、経験をさせて頂き本当にありがとうございました。
貴重な資料と井之本さんの学芸員人生からの活きた学びに触れることができ、深く感謝しております。

ありがとうございました。

モノから心を読みとく、そして、見るものに実感してもらい、将来に向けて意識を行動を変えていくきっかけをつくる学芸員としての真髄に改めて気づかされた思いです。 
今回の場所はとてもよかった。

椅子形式の方が楽だ。
大変興味深い面白い講座でした。ありがとうございました。

大量消費社会、飽食の世の中において、モノを大切にする心は本当にこれから大事にしなければいけない心と思います。

広めていけるよう私自身がその心を示すことによって少しでもそういう社会に近づければと私も思います。
吉田りえこ編集長のセンスと御尽力には敬服するばかりです。

最初の立ち上げ時期から存じ上げる者として感慨無量のものがあります。

スタッフの皆様にもお礼申し上げます。
初めての体験で糸を紡ぐのが不思議と実際にやってみて感じるのとのギャップが楽しかったです。

ありがとうございました。

スタッフ後記
井之本先生が
「夜なべして作った」と言われた
藤の糸が巻かれたカード。

これにそれぞれがつむいだ
綿の糸も巻かれました。


この日は梅雨とは思えない程の快晴で、
真夏のような暑さでした。

スタッフの人数がいつもより少ないこともあり、
皆それぞれの分担に分かれて
急ピッチで準備をします。

そんな中、
運んで来た糸車などの荷物を降ろしていた
井之本先生が明るく声を掛けてくださいました。

「働くねえ。本当にここの人達は皆ボランティアなの?」
そうです、と答えると
先生は驚いていらっしゃいました。

ですがむしろ、
私はそんな先生に驚いてしてしまいました。

先生こそ、お一人で
車にあれだけの荷物をいっぱいに積み込んで、
何時間も掛けて会場へ来てくださったのです。

内容も事前に考えて、
一人一人にお土産のカードまで準備してくださっていました。

こうして、ご自身の苦労を感じる前に
他人のことを気に掛けてくださる先生に、
心から感心させられました。

講座の準備が整うと受講される方々が少しずつ到着されます。

その際にも、
「暑いですねぇ、有難う。」
などと声を掛けてくださる方がいらっしゃるのです。

わざわざ遠い中
足を運んでくださっているのに、本当に有難いことです。

スタッフが笑顔で楽しく頑張ることが出来ているのは、
やはり間違いなく
周囲の思いやりに支えられているからです。

その他の何でもありません。

そんなことを毎回
皆さまの思いやりによって 再認識させられます。

今後もより充実した内容とお時間をご提供出来るよう、
スタッフ一同元気に明るく頑張って参ります。

講座にお越しになった際にはどうぞお声掛けくださいね。

今回の講座から設けられた「保育室」。
子供連れの参加者のために、保育スタッフが常駐しています。

絵本や本も置かれて、小学生もここでくつろいでいました。

スタッフの誰もが「ここでお昼寝したい〜」と言っていました。
準備が終わったら、
参加者を待つ間に大急ぎで腹ごしらえ!
おにぎりや差し入れのパン、お菓子などで
しばしの間、ちょっとほっこり。

受付の様子です。
金庫を預かるスタッフは
いつも緊張して仕事をしています。

今回から、動画が京都府のホームページで配信されることになったので
撮影スタッフも念入りに打ち合わせします。
真ん中はプロのカメラマンの大西さん。


京都府の方々も和の学校スタッフと同じように
大変よく動いてくださいます。
まさに「共催」だと感じます。

京都府スポーツ生涯学習室の
米山さん(右の女性)と立原さん(左の男性)です。


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