「日本文化そもそも」とは、
日本文化の根本を知り
「そもそもこういうことだったのか!」ということに気づき
暮らしに息づかせるために
今の世の中から忘れられていることを取り戻し
本当の意味で、心豊かに暮らすためのヒントを見つける講座です。

※「サラダ隊」とは「こころ塾」の「和文化サラダ」開催時に結成された
ボランティアレポーターチームの名前です。
それぞれの感性で書かれたレポートをお楽しみください。

読売新聞ホームページでも掲載されました。


日本文化そもそも  平成20年11月30日(日)


  
〜祈りと暮らし〜


講師: 八木透氏(佛教大学教授)
 
レポート:サラダ隊 京水菜   写真:吉田明彦


第一弾の最終回を迎えた
「こころ塾 日本文化そもそも」は佛教大学の宗教文化ミュージアムにて
「火〜祈りと暮らし〜」をテーマに開催されました。

講師は、宗教文化ミュージアム前所長であり佛教大学教授の八木透先生。

冬の足音を感じ始めたこの季節、簡単に暖をとることの出来るこの現代に、改めて、
火について想いを馳せる暖かい時間となりました。

第1部 やのん絵本ライブ
スポットを浴びて絵本ライブが始まります。
「和の国 はじまりのものがたり」
ひとつひとつの風景が懐かしい
オリジナルの絵本です。

こころ塾の始まりを伝えたのは
カチンと響く火打ち石。

絵本の読み語りをする
Yuccoさんの手から
その音が会場に鳴り響きます。

ステージのスポットライトが
絵本を照らし、
絵本ライブの始まりです。

「魔法のことば」に続き
続く絵巻物「くにのはじまり」。

古事記神の章≠フ
物語が力強く語られ、
物語の世界に引き寄せられます。

写真だけの絵本「はるにれ」。

そして「和の国 はじまりのものがたり」。

これは、SEIYAさんが文を書き
和の学校・吉田さんが絵を描いた
世界にたった1冊の絵本です。

二十四節気の移り変わりと
そこにいつも共に在る
人々の心の豊かさが、
画用紙いっぱいに描かれています。

ステージ上でスポットライトを浴びて
絵本の1ページ1ページがめくられると、
そこに広がる見覚えのある
懐かしい景色に心が和みます。

最後のページをめくり終えた時に、
この絵本には
終わりが無いのだと気付かされます。

絵本を閉じても、
最初の1ページ目に戻って
季節を繰り返すことが分かるからです。

改めて、日本の季節が
こんなにもドラマチックで
絵画的だったのかを再認識させられると共に、
人々の心の豊かさを思い出させる絵本です。

最後にはSEIYAさんの石笛が響き渡り、
会場は幻想的な空気に包まれました。

第2部 講演 
八木透氏
「火―祈りと暮らし―」
優しくわかりやすく語ってくださる
八木先生。
この宗教文化ミュージアムの近くには
広沢池があります。
そのあたりから撮った「愛宕山」。
京都市最高峰。
石座(いわくら)神社の火祭を紹介したビデオを見ると、
人々の火について想いがよくわかります。


―人々の生活と火―

火は貴重な恵みを
私たちに与えてくれる、
無くてはならない存在です。

「人間は火を使う動物」とは
古くから言われている言葉で、
火を操れるか否かが
人間と動物を区別する
要素の一つでもあります。

人間は、火を操ることによって
数多くの文明を生み出しました。

この人間の知恵は
日常生活を豊かにしましたが、
その一方で、
火は人の手には負えない
魔物に成り得る存在でもありました。

火は恩恵と脅威という、
相反する特性を併せ持った存在として、
これまでの歴史の中で
度々人々に課題を突きつけてきました。

特に前近代における
大火(たいか)≠ニいわれた
大規模な火災では、
人間が火の脅威を目の当たりにし、
尊い命や文化が無残に失われました。

このような火の脅威に対して、
人間はいかなる神に何を祈り、
どのような対処を試みたのでしょうか。


―火の信仰―

京都における
火の神(特に火伏せの信仰)といえば、
誰もが京都の北西、
戌亥の方向にひときわ高くそびえる
愛宕山(あたごさん)を思い出すことでしょう。

現在愛宕神社は
京都を総本部にして全国にあり、
その数は1,500を越します。

愛宕信仰が全国に広まったのは
江戸時代中頃。

愛宕の神は
火伏せに霊験のある神として
民間に広く信仰されるようになりました。

近世に入り、
愛宕は一般庶民の間では
籠に祀られる火の神として信仰を集めるようになり、
その信仰は現在まで生き続けています。

火は、人間が生活する上で
無くてはならない存在であると共に、
その生活を一瞬にして焼き払ってしまう
魔物でもありました。

人々は火を使う際に
火事がおこらないことを願い、
愛宕の神に祈ったのです。



―京都における火まつりについて―


盆の後、
京都市北部の山村で行われる 「松上げ」は、
愛宕信仰に根ざした火伏せを祈る祭りです。

その他、10月に行われる鞍馬火まつりや
石座(いわくら)神社火祭など、
秋から冬の時期に行われる祭りには
火をめぐる信仰が見え隠れしています。

鞍馬火まつりや石座神社火祭は、
火伏せの祭りという意味合い以外に
神を降臨させる拠り所として、
また、病気の根源や世に近づく悪いもの等
目に見えない邪気を焼き払う
祓(はら)い≠ニいう行為の
意味合いも含まれています。

11月に
市内あちらこちらで行われる
「御火焚(おひたき)」や
12月の「大根焚(だいこんだき)」も、
京都の秋から冬を代表する火まつりです。 

御火焚の起源は、
かつて宮中で行われていた「庭火」に求められます。

千本釈迦堂の大根焚き。
(2005年12月撮影)
昔の街中でのお火焚祭の様子
熱心にメモを取りながら聞かれる方が
たくさんおられました。

庭火とは、
宮中で神楽を奏する時に
照明のために焚いた火を指すとともに、
神々が降臨する時の
依代も意味したと考えられます。

京都の御火焚は社寺だけでなく、
各家々や町内でも行われました。

そしてこの御火焚祭は
今日に至っても尚、
町のあちらこちらで行われ、
その数は少なく見積もっても
京都市内だけで200例を越すでしょう。

さらに12月になると、
いくつかの寺院では
「大根焚」が行われます。

鳴滝了徳寺や
千本釈迦堂の大根焚きが有名ですが、
これも御火焚き祭の
系譜を引く行事であると考えられます。

鳴滝了徳寺の大根焚きの起こりは、
鎌倉時代の建長4年です。

その年の11月に、
親鸞聖人(しんらんしょうにん)が
愛宕月輪寺へ行く途中、
了徳寺に立ち寄られたそうです。

村人達は寺に集まり、
親鸞聖人の有難い説法を拝聴し、
そのお礼に何か渡したいと考えたのです。

しかし
何もお渡し出来るものが無く、
考えた末にこの時期に
唯一収穫した大根を
塩で焚いて献上したのだと言います。

有名な御火焚祭に、
皇室で行われる収穫祭
「新嘗祭(にいなめさい)」があります。

新嘗は、今年とれた作物を
先祖神に奉納して収穫を感謝し、
来る年の豊作を祈願する祭りです。
(新嘗祭は現在の勤労感謝の日。)
一方、民間で小規模に行われる収穫祭は
「霜月祭」と呼ばれます。

このように、秋から冬にかけては、
過去から現在に至るまで
火に関わるまつりが
非常に多いことに気付きます。

そもそもどのような理由から
霜月に火を用いた祭りを行う必要があったのでしょうか。


―冬至をめぐる民族信仰―

霜月(旧暦の11月)には冬至を迎えます。

冬至は1年の中で
最も昼が短く夜が長くなる日です。

この時期には暗闇が周囲を包み、
寒さが人々を覆います。

平安時代や鎌倉時代になると、
都会に住む人々は
また春が訪れることを知っていましたが、
それを知らない人々にとって、
夕方4時には日が落ち
朝7時になってもまだ薄暗いこの期が、
いかに不安や恐怖心を
呼び起こさせる季節だったかと想像されます。

昔の人はこの時期に
太陽の力が最も衰えるものと考えていました。

民間の間で行われていた霜月祭は、
衰弱した太陽の力を再生する為に
人々が火の力に頼った祭りだったといえます。

冬至は、言い換えれば
人々のエネルギーが弱りきった状態であり、
火はそこに力を与える
太陽のような存在だったのです。

このような信仰的基盤が、
御火焚祭や霜月神楽などの、
民間の新嘗祭、
つまり霜月祭として
現在に残ったものと考えられます。

冬至に行われる象徴的な行事に
「大師講」があります。

大師講は、主に
11月23日から24日にかけて行われる行事で、
この日はオダイシサマが
姿を変えてこっそりと訪れる日だと考えられていました。

現れたオダイシサマに人々は
大師粥と呼ばれる小豆粥を作って接待します。

日本人独自の神に対する考え方として、
客人神(まろうど)や来訪神の存在があります。

まろうどの語源は「稀人」で、
遠方から稀に訪れる神聖な旅人のことを示します。

つまりそれは山や海など遠方から時々訪れる、
神を表しています。

来訪神もこれに似た性質を持ち、
どこからか降臨し人々に
様々な幸をもたらすと考えられています。

これらの神々は、人々の目に見えない形として現れることもあれば、
目に見える形として現れることもあると考えられてきました。

生きた人間の形となって目の前に現れるその1つの例がオダイシサマなのです。

このような弘法大師を中心とした民族信仰を「大師信仰」といいますが、
その最も古い形態を留めたのが大師講なのです。

そこには、太陽が最も衰える日である冬至に、
遥か彼方からやって来て人々に幸をもたらすという、
古い来訪神や客人神の信仰を垣間見ることが出来ます。

先述した、了徳寺の親鸞聖人が訪れたという伝承もその一例と言えます。

親鸞聖人はいわばお大師さんであり、
高貴な人がやってきてエネルギーを与えてくれる、そんな存在そのものです。

お大師さんには小豆粥を振る舞いもてなしますが、
了徳寺ではその供物が大根だったといえます。


―最後に―

人間は「火」を操ることで文明を生み出し生活は便利になりました。

その一方で、「火」は人間の手に負えない魔物にも成り得ます。

人々はある時は火の脅威に怯え、
またある時はそのエネルギーに願いを込め敬いました。

「火」は常に人々の心と共に寄り添ってきたのです。

現代においても
京都では秋に火まつりが至る所で行われています。

近所で火まつりを見かける方も多いのではないでしょうか。

これら祭りには必ず現代人も納得出来る意味が込められています。

祭りの本来の意味を知ることで日本人の歴史や文化、思想など様々なことが見えてくるのです。

皆さんも出来ればぜひ、祭りに足を運んで本来の意味に夢を馳せて頂きたいと思います。


第3部 ―宗教文化ミュージアム見学―

この日は、ミュージアムの休館日でしたが、
御好意により開館して頂いた上に
ミュージアム内の見学もさせて頂けました。

参加された皆さまは
熱心に歴史の文化財をご覧になっていました。

ご協力頂きました宗教文化ミュージアムの皆さま、
本当にありがとうございました。

※宗教文化ミュージアムにぜひ足をお運びくださいませ!

宗教文化ミュージアム
〒616-8306
京都市右京区嵯峨広沢西裏町5-26
TEL(075)873-3115〜6
FAX(075)873-3121


第4部 
ほっこりタイム

場所を2階に移し、
お茶とお菓子を頂きながらのほっこりタイム。

八木先生に 再度お越し頂き、
色々な質問にお答え頂きました。

この日ご用意させて頂いたお菓子は、
今回のテーマ「火」にちなんだ
鳴海餅」さんのお火焚饅頭です。

小豆のこし餡を入れた小判型の紅白饅頭に、
宝珠の焼き印をつけたもので、
お火焚き祭には欠かせない供物です。

京都ではお饅頭のことを「おまん」と呼びます。

おまんを売るお店は
「おまんやさん」と言われ、
お饅頭の他にも
お餅やお赤飯やお団子等も作っていて、
冠婚葬祭や年中行事には欠かせないもの。

そんな人々の生活に根付いた
おまんやさんで売られるこのお火焚饅頭は、
お供えのおさがりとして、近所や普段お世話になっいる方々に配られます。

昔は、子どもたちは
毎日近所をまわってお菓子を貰い歩いたそうです。

紅白のお饅頭は大きさも手頃でとても愛らしく、
口に含むとしっとりとしたこし餡の甘さに 、
ほんのりと焼印の焦げが香ばしく加わります。

お供えのおさがりとして頂く大人は
ここに神への想いを噛み締め、
近所に貰い歩いた子どもたちは、
なんとも言えない幸せな美味しさを
口いっぱいに頬張っていたのでしょう。

Q. 京都の八坂神社で 大晦日に行われる「おけら参り」で使われる「おけら火」の火の意味とは一体何でしょうか?
A. これは無病息災を願うお参りで、
奉納されたおけら木を焼いた
神聖な火「おけら火」で お雑煮を作ると
新しい年の無病息災が約束される、
というものです。

実際におけらの根は古くから
漢方の健胃薬として知られています。

ここで用いられる火は、
「新年の火」という意味があり、
霜月の火とは意味合いが少し違うといえるでしょう。
   
Q. お火焚饅頭の焼き印の意味を教えてください。
A. 宝珠の焼き印が押されています。
この宝珠というのは
仏の心臓部という意味があります。

つまり仏の一番大事なものを
印しているのです。

お火焚饅頭には、
これが必ず捺してあります。
   
Q. 祭りでは神輿をねる≠ニいいますが、その意味は何でしょうか?
A. 「ねる」とは、神様の上下左右の動きを指します。

神輿の動きは、神が喜んで暴れている、動き回っている、という意味があります。

神輿を担いで歩き回る様のことを「ねり歩き」ともいいますね。
   
Q. 京都南部の加茂町に住んでいますが、
大師講は霜月ではなく3月21日に行われます。

以前は霜月に行われていたのでしょうか?
A. 必ず全てが11月に行われるわけではありません。

本来の大師信仰では霜月に行われますが、
これは客人神を祀るものが大師講に変わったものです。

オダイシサマが現れる日が3月だといわれている地域では
そうして別の月に大師講が行われることもあります。
   
Q. 京都の山城地区では火まつりが盛んな気がしますが、その背景を教えてください。
A.

火まつりは京都だけでなく、もちろん地方にも多くあります。

しかしながら、五山の送り火に始まり秋にかけて、
特に霜月に火まつりが集中することに限定すると、
これは京都の特徴といえます。

それは、火まつりがそもそも宮中行事だったことと、
山岳信仰の仏教の影響(真言系や天台系)を強く受けていることが理由です。

   
Q. トンド焼きと神の繋がりを教えてください。
A. 西では「トンド」東では「さぎっちょう」と呼ばれています。

これは、お盆にやってきた神を送るという
小正月の神送りの行事です。

年神を天に返す為に火を焚くのです。
   
Q. ヨーロッパの信仰に出てくる火の関係を教えてください。
A. 火は、キリスト教・仏教・ヒンズー教等の区別無く
原始信仰には必ずつきものです。

やはりそれは、火はどこまでも大きくなったり一瞬で消えたり、
人々にとって非常に幻想的で神秘的な存在だからなのでしょう。
   
Q. 火を使わない宗教もありますが、それはどうしてでしょう?
A. 埋葬する祭に、風葬や鳥葬をする宗派も確かにあります。

これはおそらく、その地域の環境が影響しているものだと思います。

高山や砂漠地帯では火の文化は発達せず、
代わりに砂と石の信仰があります。
   
Q. 火山があるという環境も、
火の信仰が広まった原因のひとつなのではないでしょうか?
A. その可能性もあるかもしれません。

実際、火山は江戸時代には「御神火(ごじんか)さま」と呼ばれ敬われていました。


予定時間を越えても
丁寧に優しくお答え頂いた先生に、
参加されたみなさまも
心が和んでほっこり≠ウれたのではないでしょうか。

非常に盛り上がったほっこりタイムは、
大きな拍手と笑顔に包まれ終了しました。

寒い中お越し頂いた皆さま、本当にありがとうございました。


サラダ隊 京水菜 の 思ったこと

講演後にある方が
先生にこう言っていました。

「家には祖母が持っていた火焚きの道具があります。

幼い頃は秋になると
祖母が家の前で火を焚いていましたが、
これが何を意味するのか今日ようやく分かりました。」

火を用いた祭りや行事は
今でも時々目にします。
その「火」に込められた 想いや意味を
今回の講演によって
初めて知った方は多いのではないでしょうか。

それを知ることで、 時空を超えて
先人と心を通わすことが出来たように思います。

火を操ることは人間たる証であり文明を進化させました。
そして何より、色々な祭りや行事にみられるように、
火は人の心の隣にいつも寄り添ってきたことが分かります。

現代における住まいの中には形を変えた火熱がふんだんにあります。

それは物であったり暖であったりします。

先生は、火を「恩恵と脅威という、相反する特性を併せ持った存在」と表現されていました。

しかしながら、現在ではその「脅威」の部分が取り除かれ身の回りに存在しているようです。

家の中を見渡しても、活きた火、炎は見えません。

それは家内安全にも繋がりますが、どこか物悲しい。

私は小さな盆地で育ちました。

幼いころから秋には近所の庭の
あちらこちらで焚き火を目にし、
我が家でもよく焚き火で
焼き芋をしていました。

こうして家族で火を囲んで、
知らず知らずにその暖かさ、
火の危険と防火、周囲への思いやり、
作物への感謝、家族の団欒などを
学んでいたのかもしれません。

活きた火が生活から消えていくのは、
親から子へ受け継がれる
それらの伝承を無くしているようで寂しい気もします。

近所で見かけるお火焚きや焚き火。

そこには自然と人が集まり
言葉を交わしたり手をかざしたり、
そこに思い出を映したりします。

目の前に見える火は猿人や原人、
そして縄文人が見つめていたものと何ら変わりはないのでしょう。

火のメカニズムが解明された今も尚、ゆるゆると燃える火の神秘性を前に
人の心は揺れ動かされます。

心の奥底に深く根付く記憶が呼び起こされているのかもしれません。

火には暖を取ることや灯りを点すことの他に
宗教的・象徴的な役割もあります。

そして後者の役割として火は、
地域で大事に守られ、
今も聖なる火として全国の神事や祭事に用いられていることが分かりました。

家の中では今、暖房や乾燥や料理や照明など、
火は役割を分割されて確かに存在しています。

しかしそれらが私たちに与える意味と、
神事などで用いられる火の本来の姿が
私たちにもたらす精神的力は別のものです。

今回、本来の火の姿と日本人との繋がりを知ることが出来ました。

受講された方々も今度出会う火まつりが今まで以上に趣深いものとなることでしょう。

昔の生活が良かった、というわけではありません。

ただ、連綿と受け継がれる火への人々の祈りや想いが
神事や祭りとして今も確かにあるという事実を忘れてはいけないと思うのです。

そこには世代間の絆を確かめ合う「火」という存在もあります。

「火」は以前に比べると身近ではなくなったものの、大事に受け継がれ今もどこかで焚かれています。

そうして過去と現在、未来へと人々の心を紡いでいるのではないでしょうか。
※写真はすべて、当日の宗教文化ミュージアム近辺の風景です。

スタッフ後記

当日は本当に寒い日で、
京都では最高気温が11℃しかありませんでした。

バス停から15分ほど歩くと
今回の会場宗教文化ミュージアムです。

方向音痴の私は、
早く出たにも関わらず道に迷い
結局少し遅れてしまいました。

道に迷ったのは大変でしたが、
その間出会った方々は
わざわざ自転車を降りて
少しついて来て下さったり、
近所の人に聞いて下さったり。

また、途中突如現れた広沢池周囲の
見事な紅葉には、
一瞬不安を忘れ思わずカメラのシャッターをきりました。

本当に寒い日でしたが、人と自然の優しさに触れて、
到着した時には既に心身共に温かくなっていました。

実はこの日、同じ様に道に迷うスタッフが多かったこともあり、
来場される方が道に迷わないよう、
スタッフはバス停や道に分かれて1時間も前から立って待っていました。

会場の外では、"和の学校"と書かれたのぼりが
秋風に目一杯広げられていました。

そうです。気温が低い上に風も強い日だったのです。

会場に順に到着するスタッフは、
心なしか皆少し鼻を赤くしていました。

遠路遥遥お越し頂いたみなさま、本当にありがとうございました。
 
この日は嬉しいことに、和の学校の吉田さんが
スタッフにとたくさんのおにぎりを作ってきてくれました。

手作りのおにぎりがこんなにも美味しいものなのかと皆で感動しました。

何個くらいあったでしょう。おそらく40個はありました。

握る姿を想像し、ますます心が温かくなる一時でした。

「よし!頑張るぞ!」誰からともなくそんな声が聞こえました。

こころ塾を支えてくださる方々、
参加してくださる皆さま、
そして今回の私の場合は
会場に辿り着くまでに出会った
優しい人や風景等、
スタッフ自身が毎回何らかの
温かい心を周囲から受けています。

その優しさや思いやりは
不思議と連鎖していくものだといつも感じます。

人から受け取った優しさは
人に返したいと思うものなのです。

それがスタッフの活力にもなっています。

こころ塾最終回のこの日のテーマは「火」。

火は暖を取るのに用いられます。

また、そのゆらぎは心を温め癒します。

そんな火のように、スタッフもこころ塾を通じて、
参加される皆さまの心に小さな灯りを点したいと改めて感じました。

まだまだあたふたする事も多いのですが、
これからも和の学校の小さな火種となって、
見えないところで頑張っていきますので、
もし見つけたら、温かいお声を掛けて頂ければ幸いです。

次回もより多くの方にお会い出来るのを楽しみにしています。

神社やお寺で開催することが多い「こころ塾」ですが
今回は とても立派で新しい会場。
エレベーターがあるので、足の悪い方も移動が楽にできました。
宗教文化ミュージアムのスタッフの皆様、ありがとうございました。
鳴海餅さんのお火焚饅頭!
本当に美味しかったです!
包装紙も歳時記が描かれていて
スタッフの評判になりました。
鳴海餅さんありがとうございました!
受付はいつも看板娘達の仕事です。
そして金庫番でもある彼女達は
どこへ行くにも
重い金庫を持って移動してくれるのです。
 

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