「日本文化そもそも」とは、
日本文化の根本を知り
「そもそもそこういうことだったのか!」ということに気づき
暮らしに息づかせるために
今の世の中から忘れられていることを取り戻し
本当の意味で、心豊かに暮らすためのヒントを見つける講座です。

※「サラダ隊」とは「こころ塾」の「和文化サラダ」開催時に結成された
ボランティアレポーターチームの名前です。
それぞれの感性で書かれたレポートをお楽しみください。



日本文化そもそも  平成20年9月14日(日)


  
〜月への想い〜


講師: 藤木保誠氏(上賀茂神社 権禰宜)
 
レポート:サラダ隊 京水菜   写真:吉田明彦

「こころ塾 日本文化そもそも」は
今回で3回目を迎え、
定員を超えるお申し込みを頂きました。

日本文化とは一体何なのでしょう。

こころ塾では様々な方面から
日本文化を知ることによって、
そこに根付く共通点を見つけていきます。

今回は世界文化遺産でもある
上賀茂神社にて「月」をテーマに、
権禰宜である藤木保誠さんに
講演して頂きました。

現代人が忘れかけている
大切なこと≠
月が思い出させてくれる、
そんな時間となりました。

第1部 講演
上賀茂神社 権禰宜 藤木保誠さん
「月〜月への想い〜」
いつもに増して参加者が多い講座です。
藤木さんは
代々、上賀茂神社につかえる
神職のお家です。

月を賞でる風習は
「観月」または「玩月」などと言われ、
その起源は古く中国漢の時代に遡ります。

それが「全唐詩」(全900巻)
巻230の「八月十五夜月 ニ首」に
八月十五日あるいは
中秋という言葉が初めて見えるように、
その頃から旧暦の八月十五日に
野菜や果物を供えて
月を拝み鑑賞する習慣がみられ、
その日は節日とみなされるようにもなりました。

日本では
宇多天皇の御代(887〜897)に
盛大に月見の宴が行われた記録が
残っております。

平安時代には
貴族の間で観月宴が催され、
池や川などに舟を浮かべて
詩を読んだり管弦をしたり
歌を歌ったりしていたようです。

江戸時代には庶民の間でも、
団子・すすき・里芋・酒等をお供えして
観月する習慣ができました。

この、旧暦八月十五日は
秋(7月から9月)の丁度中ごろにあたる為、
この日空に浮かぶ月を
中秋の名月と呼びます。

秋は空気が乾燥している為に
月が鮮やかに見えることが、
名月と呼ばれる所以だといえます。

冬も空気が澄んでいますが
鑑賞するには寒すぎる為に
秋の月が好まれたのでしょう。

月見が民間に定着するにあたっては 、
やはりその基礎となる風習がありました。

これが初穂祭、
つまり秋の収穫祭であるとされます。

春から手を掛けて育てた作物が
秋には実り、
人々に大事な食料をもたらしてくれます。

日本人は
この自然の恵みに感謝して
この時期色々な祭を行いました。

特にこの時期に
多く祝われたのは里芋の収穫です。

その為、月見に里芋を供える風習ができ、
この名月を「里芋名月」とか
「いものこ誕生」と呼ぶ地方もあります。

賀茂でも
月を賞でる歌会がよく催されていたようで、
書法大師流の筆による
次の歌が残されており、
当時を偲ぶことが出来ます。

 秋月を詠める歌

 主馬首賀茂敦直

 まつほどに
   こころあさくも思ふのかな
    ひかりさやけき夜な夜なのつき

さて、本日は旧暦の八月十五日です。

上賀茂神社でも神事としての月見が行われます。

それが「賀茂観月祭」です。

月を賞でる風習は古くからあったものの、
実はこの祭が正式に行われ出したのは歴史が浅く、
平成3年から始められたものです。

上賀茂神社は歴史ある古い神社の為
それまで境内に明かりが少なく、
夜の神事が行われにくかったことが理由に挙げられます。

1992年初めから全国に灯ろう設置への協力を呼びかけました。

そしてその年の境内の灯ろう設置を記念して、
家内安全や健康を祈り、
舞楽など各種芸能の上達を祈る
観月祭を催すことにしたのです。

賀茂観月祭の他にも上賀茂神社では1年を通して様々な行事や祭典が行われます。

中でも一番大きな行事が「賀茂祭(あおい祭)」です。
ここで賀茂祭(あおい祭)についてご紹介しましょう。

賀茂祭(葵祭)について
〜上賀茂神社の祭祀の起源〜
太古別雷神(わけいかづちのかみ)が
現社殿北北西にある神山(こうやま)に
降り立ったといわれています。

その際、
「奥山からさか木を取り、阿礼(あれ)に立て、
種々の綵色(いろあや)を飾り、走馬を行いなさい。
その後、葵楓(あおいかつら)の
蔓(かずら)を装って祭を行いなさい。」
というお告げがあったとされています。

それが上賀茂神社の祭祀の始まりでした。
〜賀茂祭の起源〜
6世紀の欽明天皇の頃、
日本国中が悲惨な風水害に見舞われてしまいました。

国民の窮状は甚だしく、占いに頼るしかないと
卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)に占わせたのです。

そうすると、この風水害は賀茂大神の祟りであるというではありませんか。

そこで天皇は、4月の吉日を選び、
馬に鈴を懸け、人には猪頭(いのがしら)を被って走馬をさせ、
盛大に祭りを行わせたのです。それが賀茂祭(あおい祭)の起源です。
〜賀茂祭の変遷〜
盛大に、且つ重要視された祭儀も
室町時代中期頃から次第に衰退し、
ついには応仁の大乱以降全く廃絶してしまいました。

その後200年余りを経て、
江戸時代、元禄7年(1694年)東山天皇の頃
この祭りは再興されることになります。

当時の盛儀をそのまま復興することは困難でしたが、
上賀茂・下鴨、両社の熱意や朝廷・公家の理解、
そして幕府の協力によって再興されることとなったのです。

そしてこの賀茂祭(あおい祭)はその後、
明治3年(1870年)まで執行されました。

それからまた暫く中絶され、単に奉幣使のみの参向となります。

明治17年(1884年)になると、
明治天皇の旧儀復興の仰せがあり、
春日大社の春日祭・石清水八幡宮の石清水祭と共に
所謂日本三勅祭の一として厳粛に祭儀が執行されることとなりました。

この祭日は古来四月吉日(第二の酉の日)とされていましたが、
明治維新以後、
旧暦から新暦に変わると祭日も新暦の五月十五日と改められ、
現在に及んでいます。

賀茂祭の十日前に行われるのが競馬会神事です。

実は、この祭祀が新暦六月十五日に行われた時代もありました。

しかしながら、この時期は田植えの真っ最中です。

その為再度新暦の五月五日に行われるようになりました。

結果的に上賀茂神社本来の祭祀通りの順で、
走馬をし、葵楓の蔓を装って祭が行われることとなったのです。

古くからある祭祀は旧暦の暦に基づいて行われていることが多く、
それを新暦に基づいた都合の良いと思われる日に移行した場合、
不具合が生じることがあります。

旧暦は月の満ち欠けを基としており、
農耕民族である日本人にとって月は生活と深く結びついているからです。

日本にある年中行事が月の動き(旧暦)に基づいて行われていれば、
それを知ることによって本来の祭の意味がわかるはずです。


今回出されたお菓子は
京菓子の老舗「末富」さんの満月≠ナす。

末富さんが和の学校の為に
ご好意で作ってくださいました。

これは空に浮かぶ満月がそのまま掌(てのひら)の上に
落ちてきたかのような御菓子です。

手に取るととても柔らかく、
その透明感ある白は、優しく淡い光を放つお月さま
そのもののようです。

表面に描かれたすすきはその優しく淡い光を背に
金色に光り輝いていました。

月の神秘性・優しさが
まるでそのまま形となったようで、
受講者の方々からも溜息のような
感嘆の声が聞こえました。

第2部
賀茂観月祭 参列

月と日本の暮らしについて
お話しをお伺いした後、
場所を移し馬場殿を舞台に行われる
賀茂観月祭に参列しました。

こころ塾受講者にはこの日、
馬場殿正面左の一段高い位置に
「和の学校席」が設けられていました。

そこは舞台の近くに位置しており、
馬場殿に上がらずとも
一体感を得られる場となっていました。

背中を優しく触る秋風と
足元を小さく揺れる芝が、
これから始まる祭祀の前奏曲の様でした。

午後五時半、
まだ周囲が明るい中
賀茂観月祭斎行が行われました。

月の語源は「ツク」であり、
民俗学では「憑く」とされています。

月には全知全能の神が「憑いている」とされ、
ここでは家内安全や
健康等を参列者全員で月に祈りました。

その後、各種芸能の奉納行事が行われました。

午後六時、平安雅楽会による
舞「抜頭(ばとう)」が奉納されました。

これは、猛獣に父をかみ殺された胡人の子が
山野を探し求めて遂に父の仇を討ち、
歓喜する姿を舞にしたと言われています。

また、漢の后が嫉妬に狂う様を模
したとも言われています。

馬場殿全体が
力強さに満ちた迫力ある舞で、
足踏みをする度に
まるで馬場殿全体が大きく揺れるようです。

観客の視線を捉えて離しませんでした。

次に行われたふたば会による
連吟「融(とおる)」、
また能の一部を素で舞う仕舞
「野宮」「三井寺」が葵会により行われました。

先になされた舞と比較すると
決して大きな動きとはいえませんでしたが、
言葉が空気を揺らし、観る人を圧倒していました。

静けさの中に響き渡る声は、
周囲の草木をも揺らしまだ観ぬ月を、
ゆっくり且つ力強さをもって
空高く呼んでいるようでした。

続いて柊野保育園の園児達による合奏が行われ、
園児達は様々な楽器を使って
ヴィヴァルディ等全3曲を演奏してくれました。

練習を重ねたであろうその完成度に見る人は感銘を受け、
また園児一人一人の真剣なその愛らしい姿に、人々の顔は一気にほころびました。

先程までの馬場殿の緊迫した雰囲気は一瞬にして優しく柔らかなものへと変わりました。

 


気が付くと、この時、先程まで明るかった空には
少しずつ星が見えるようにもなりました。

星たちも園児の可愛らしさに今にも踊り出しそうに瞬いていました。

そして行われたのが
日本文化そもそもではお馴染みの「やのん絵本ライブ」。

Yuccoさんの優しい語り口に合わせて
周囲を包み込むように鳴る
SEIYAさんのギターの音色は馬場殿を離れ、
聴く人の想像力を掻き立て、
どこまでも遠くへ鳴り響きます。

この日は石製の気鳴楽器
「石笛(いわぶえ)」による演奏もされました。

人々を惹きつけていたこの笛は
日本最古の笛で、
高い周波数の澄んだ神秘的な音を奏でます。

当時、石笛は
人と神を結ぶ神聖な楽器として崇められていました。

天然の自然石が楽器となる為、
当時の楽器の形式と変わらず現在に受け継がれており、
ごく一部の音楽家によってのみ演奏されているのです。

その一人であるSEIYAさんが
馬場殿にて石笛を奏でた頃、
丁度馬場殿の後方より真っ直ぐに月が現れました。

空に浮かぶ中秋の名月と石笛が共鳴して
観る人の心に響きました。

奉納行事の最後を飾ったのは、
澤田よしひろさんと大坂城ジャグバンド、
くろじんによるフォークソングです。

懐かしい歌の合間にも澤田さんによる愉快な話し口調、
そして弦楽器による軽快なリズムがあり
人々からは自然と手拍子が始まり、
それは最後まで続きました。

賀茂観月祭は優しい秋風による静かな前奏曲から始まり、
そして奉納される様々な芸能に魅了される、
人々の心の動きがありました。

それは時間と共にまるで音楽のように流れ 、
周囲の空気感をも変化させていました。

終了予定の八時を少し超えてもなお名残惜しい雰囲気の中、
年に一度の賀茂観月祭は幕を閉じました。

空に浮かんだ月もまた、
演奏を終えた馬場殿を名残惜しそうに優しく照らしていました。


サラダ隊 京水菜 の 思ったこと

日本の四季をあらわすものとして
雪月花という言葉があります。

冬の雪、秋の月、春の花。

その中でも古来文芸の世界で
特に重んじられてきたテーマが月と花でした。

特に手の届かない月は
人々の憧れともなって、
新古今の歌人に詠まれ、 歌枕にもなり、
また絵画に描かれたり能や
音曲に取り扱われたりして、
この美意識は
日本人の心へと根付いていったのでしょう。

もちろん月は一年中見られるものですが、
中でも空気が澄んでいる秋の空に
ぽっかり浮かぶ月は格別の美しさです。

特に旧暦八月十五日の月を「中秋の名月」と言い、
古来人々は、空に浮かぶこの幻想的な月に豊作を祈りました。

祈り、親しみ、憧れ、喜び、そして時に恐れ・・・
昔から日本人は、満ち欠けを繰り返しながら
空に浮かぶ月に想いを寄せてきました。

それは移り行く四季に寄り添って生きてきた日本人の、
循環と再生の思想からくるものなのかもしれません。

私は中学生の頃、理科の授業で
月の満ち欠けと地球の自転について教わりました。

科学が進歩し、月について様々なことが分かってきた現代。

子供たちにも月のメカニズムを科学的に説明し、今やロケットが月面着陸する時代です。

それでもなお、やはり月に神秘性を感じ魅了されるのは私だけではないはずです。

空を見上げると、昔も今も変わらずそこにある月には清光冴えわたる美しさがあります。

月は誰もの上に平等に光を注ぎます。

そんな月を見上げ、どこかで同じ月を見ているであろう恋人や家族を想ったり、
祈りを捧げたりするその心は、古来の日本人から現代の私たちへと、
今も変わらず受け継がれています。

恐らくそれは、繰り返す四季と共に生活してきた日本人の、
月に対する独特の美意識から成るものなのでしょう。

古来人々は、その美意識を和歌や俳句に取り入れ、なににも増して大切に育んできたのです。

自然との交流が失われがちな現代ですが、
月がやはり変わらずそこで満ち欠けをしている限り、
その風流の心が未来の日本人へと受け継がれていくことを願います。

今夜、そこに変わらず浮かぶ月を眺めて昔の人や遠く離れた人との会話を楽しんでみては如何でしょうか。

 
当日のアンケートから
大変よいお話を伺いました。ありがとうございました。
またご案内いただければ幸いです。
神話の風土記、わかり易く楽しいでした。
神社の興りもよく解りました。
月に関係のお話をもっと伺いたかったと思います。
上品なお菓子、美味しかったです。

大変興味深かったです。
月とは少々違ってましたが、いろいろな歴史など知れてよかったです。

和文化サラダは素人にもわかりやすいお話が多く楽しめました。
日本文化そもそもは少しつっこんだ内容かと思われますが
これもなかなか詳しいお話をお聞きして興味を持ちました。


スタッフ後記

世界文化遺産である上賀茂神社で「月」をテーマに開催された今回のこころ塾。

「中秋の名月」まさにその日の講座となりました。

しかしながら日中は「中秋」というにはまだまだ夏を感じさせる暑さで、
私はハンカチを忘れたことを後悔しながら会場に到着しました。

この日会場に足を運んでくださった皆さま、本当にありがとうございました。

実はこの日有難いことに、定員以上のお申し込みがあったのです。

参加者が到着されるまでに、会場では机の配置や座布団の置き方、
お部屋の温度等、人数が多くても快適に過ごして頂けるようスタッフ全員で思考錯誤していました。

参加者の喜ぶ姿を想像しながらのこの作業は、毎回スタッフにとって、とても楽しい一時でもあります。

途中、お菓子をお配りする為のお盆が足りないことに気付き、
近所に住むスタッフが自転車でお盆を取りに帰ってくれました。

しかも、もし机が足りない人がいた場合のことを想い、
そのままお菓子を乗せてお出しできるような小さな形のものをたくさん選んできてくれました。

帰ってきたスタッフの「やっぱりまだ外は暑いね。」と言って汗を拭う姿には思いやりが溢れていました。

また、この日のスタッフの中には高校生の男の子が含まれていました。

重い机を運んだりパンフレットを並べたりする真剣な表情には純粋さが溢れていて、
周囲のスタッフを優しい気持ちにさせました。
 
こころ塾は毎回、色々な人の思いやり≠ナその時間が作られています。

そしてその仕上げとなるのがご参加頂いた方々の笑顔です。

思いやりが笑顔に繋がり、また思いやりへと繋がっていくのだといつも実感させられます。

講座だけでないそんなこころ塾の一面も、ぜひ感じて頂ければ幸いです。

この日空に浮かんだ「月」を、皆さまはどんな気持ちで見上げていたのでしょうか。

優しい気持ちで見上げてくださっていたら嬉しいです。

そんなことを言っている私は、お昼の暑さに夏だと錯覚をして薄着だった為、
最後には月を見上げて優しい気持ちになる余裕がありませんでした。

良いのか悪いのか、変わりやすい秋の季節を身をもって体験することとなりました。

おなじみの、和の学校のノボリ。
これをみんなでせっせと立てるのです。
馬場殿では
やのん絵本ライブのお二人が
リハーサル中。
受付の様子です。
左写真のスタッフがお盆を家まで取りに行ってくれました!

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