和文化サラダは日本文化のエッセンスを
サラダボウルのようにいろいろ体験できる講座です。
季節をテーマとして、その道の先生に優しく楽しく語っていただきます。

これは和の学校ボランティアスタッフが「サラダ隊」となって
それぞれの感性で書く「和文化サラダ」レポートです。

平成18年10月〜平成19年3月 講座内容と各先生のプロフィールはこちら。

平成19年4月〜9月 講座内容と各先生のプロフィールはこちら 申込みも出来ます。

読売新聞ホームページでも掲載されました。


和文化サラダ 第6回 平成19年3月2日(金)


  彼岸 〜仏さまを知る〜
 
レポート:サラダ隊 賀茂なす  写真:松尾宇人


第1部 梶田真章貫主 講演
講義の場所は法然院の「大書院」。
どのお部屋もあたためてくださっていました。

日本の仏教について、私たち日本人の死生観について
わかりやすくお話される梶田真章貫主。


明確な「信仰」や「宗教」を持たない人が多い日本。

しかし、日本人の生活には
宗教行事が深く根付いています。

日本人にとって「仏教」とは、
「宗教」とはどのような存在なのでしょうか。

法然院の梶田真章貫主に「彼岸」を中心に
、日本人と仏教についてお話していただきました。


1.日本人の宗教心

日本人に「あなたの宗教は?」
と聞くと、7〜8割の人は「無宗教」と答えるそう。

日本人の大半は仏教徒でも、神道人でもないと考えているのです。

お盆やお彼岸、正月など宗教行事は生活に深く根付いているにもかかわらず、不思議なことです。

その秘密は「先祖教」にあります。

日本には仏教とも神道ともちがう「先祖教」があると考えると、さまざまな現象に説明が付きます。

日本中には先祖教が深く広がっており、
その先祖教と仏教の境目が曖昧になっているのが現状です。

2.「先祖教」とは

先祖教とは伝統的宗教で、
亡くなった人を供養する鎮魂や慰霊を中心としています。

「寺」は、元々は仏の教えを広める場です。

しかし、江戸時代に先祖教が定着し、寺は葬式や法事を執り行い、先祖を供養するところになっていきます。

寺が仏の教えを広める場ではなく、先祖教を広めるものになり、新たに先祖教のための寺も作られました。

【 先祖教の特色 】
(民俗学者 柳田國男がまとめたもの)

1.死者の霊がふるさと近くに留まっているということ

2.この世とあの世の交流が自由であるということ

3.臨終の際の「子孫のための願い」が、死後には必ず達成されると考えられたこと

4.死んでもなお二度、三度と生まれ変わって、しかも同じ事業を続けることができると信じられたこと

しかし、高度成長期に入り“家族”という形態が変化してきたため、先祖教は力を失いました。

同時に仏教に関心を持つ人も増えてきました。


3.「仏教」とは

仏教とは「悟り」を目指すもので、その方法が宗派によってちがいます。

自力で悟る、仏に悟らせてもらう(他力)、現世で悟る、来世で悟るなど、宗派によって違いがあります。

たとえば、我々は凡人であるため、
自力では悟ることができないという考え方が、
法然上人(浄土宗)、親鸞聖人(浄土真宗)の考え方です。

仏教の宗派を選ぶときは、自分自身の器を見極めることが肝心。

自分がどの方法で悟りたいか考えて、好きな方法を選べばいいのです。

「悟り」とは言葉で表せないものではありますが、何の手がかりもなく悟りを目指すのは困難です。

そこで悟りを目指す人のために、悟りの道や手がかり、イメージを言葉にしたものが「経」なのです。


4.「彼岸」とは

「彼岸」とは、悟りの世界を指します。
彼岸と此岸(娑婆)とは対になる言葉で、「波羅密多(パーラミター)」とは「到 彼岸」、
すなわち「彼岸に到りたい」という意味になります。

仏教では「彼岸」の時期に、悟りを開くための6種類の基本的な修行(「六波羅密多」)を行ないます。

6種とは、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、般若(智慧)で、
彼岸の時期には、この六波羅密多を
「わたしが」「あなたが」という気持ちや「何かしてあげた」という気持ちを捨てて、
こだわりなく「できることを、できるときに、できるように」行なうのです。

また、彼岸は太陽が真西に沈むときです。
極楽のある(西方)に向かって「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることで、極楽との縁が深まるとも言われています。

元々、彼岸は「日願」からきたとも言われています。

日本人は農耕民族ですから、太陽に向かって、春の彼岸には豊作を祈り、
秋の彼岸には収穫を喜んだのではないでしょうか。


5.「お盆」とは

以前は、盂蘭盆(うらぼん)は梵語でウッランバナ(逆さ吊りの苦しみ)から来たとされていましたが、
最近ではイラン語で霊魂を意味するウルヴァンと、
中国の行事「中元」が結びついてできたものとされています。

【 仏教と先祖教の考え方の違い 】

 
仏教
先祖教
中心的な考え方 御仏を拝み、悟りを目指す 死んだ人にどうしてあげるか
亡くなった人に対する考え方 仏に救われて、極楽浄土にいく ふるさと近くに留まり、
生きている人を見守っている
亡くなった人を救うには 仏様が救ってくれる 生きている人間が供養する
「仏」とは 目覚めた人、悟った人 死んだ人
彼岸の意味 悟りを開くための修行
「六波羅密多」をおこなうとき
墓参りをし、
死んだ人を供養するとき
お盆の意味 供物を新仏、
恵まれない無縁仏などに供え祈る
墓参り、霊祭りを行い、
僧侶が棚経にまわる

 




第2部 読経と木魚を体験しよう!


第2部は本堂に場所を移し、お経を読み、木魚を叩いてみます。

それぞれに経典を持ち、「○ぺージ」と仰る声でページをめくり、貫主に続いて皆で唱和します。
はじめての方も多いはずですが、なかなか堂に入った雰囲気です。

いつもは聞いているだけなのですが、声を出して読んでみると、また違った印象を抱かれたのではないでしょうか。

続いては木魚を叩きます。木魚の叩き方は「間打ち」といい、「南無阿弥陀仏」の「な」と「む」の間に叩いていきます。
読経の声と木魚の音が重ならないように叩くのがポイントだそうです。

南無阿弥陀仏と唱えるときは、目覚めた方(悟りを開いた方)に自分の気持ちを託すのだそう。

木魚を叩かないで10回唱える。
または、木魚を叩きながら好きな回数、心ゆくまで唱えるの2つの方法があるそうです。

法然上人の教えでは「どうぞ助けてください」との気持ちをこめて、
親鸞聖人の教えでは「約束された悟りを与えてくださったことに、感謝の気持ちをこめて」唱えます。

どうしてもリズムが取れない方も多く、なかなか音が揃わなかったのはご愛嬌ですが、
何かしら思うところがあったような表情の方が多かったのが印象的でした。

「第2部」は本堂で。
読経の後、木魚を叩かせていただきました。
なかなかリズムがつかめず四苦八苦する参加者さんも!
これが木魚です。
龍が玉をつかんでいる形なのだとか。


いろいろな質問に微笑みながら答えてくださる梶田貫主。
法話は一対一でもすることがあるとか。

またお部屋を変えて、
おいしいお菓子とあたたかなお茶をいただきながらの「ほっこりタイム」へ。

宗教観や世界の宗教の違いなど、少し難しいお話も含め、
さまざまな質問が飛び交いました。

「南無阿弥陀仏の意味は?」との質問には、

 「南無」は、あなたのことを信じます。とことん委ねますのでよろしくお願いします。
 「阿弥陀」は、はかり知れないこと。無量、光や寿命などがはかりしれないことを差します。「仏」は、ブッダに対して。

すなわち、「南無阿弥陀仏」は
“はかりしれない力を持つブッダに、とことん委ねますのでお願いします”
という意味になるとのこと。

また「悟りへの道」については、山の頂上が悟りだとすると、
一歩一歩自分の足で登る方法もあるし、ロープウェーを使う方法もあります。

阿弥陀仏のロープウェーに乗ってもいいのですが、そのためには信心が必要。

その「信じること」が難しいのですとのことでした。



最後に、法然院さんでのイベントについてのお話もありました。

一緒に読経をし、梶田貫主のお話があり、
最後に音楽や落語などを楽しむ会が、毎月26日に開かれているそう。

また土日の午後、貫主のお時間が空いていれば、法話を行なっているとのこと。

貫主のお話が聞きたい方、仏の教えに触れたい方は、訪れてみてはいかがでしょうか。

壁には『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』の内容を絵にした
「当麻曼陀羅(たいままんだら)」が飾られています。

テーマが「彼岸」ですので、お菓子はお彼岸にちなんだ「おはぎ」です。
上品なこしあんが末富さん(左)、素朴な粒あんが鶴屋吉信さん(右)謹製。
参加者の皆様には、どちらか1つをお選びいただきました。
 

サラダ隊 賀茂なすの思ったこと
本日のお花:花政
「彼岸」といえば「ぼた餅」。
そこで今回のお花は、
2色の「牡丹」を中心としたアレンジ「ぼたもち」です。
押さえた色目に、紫の牡丹がアクセントを添えています。

「sin-bi」を飛び出した2回目の和文化サラダ。

前回は昼間でしたが、今回は夜ということで、
また少し違った雰囲気が味わえたのではないでしょうか。

知っているようで知らない仏教。

今回は、日本人が「仏教」だと思っていたさまざまなものが、
「先祖教」という別の宗教の考え方だったと気づく結果となりました。

日本人の宗教観、自分自身の信仰など、
少し立ち止まって、真剣に考えてみるのもいいかもしれません。

賀茂なす個人としては、少しだけ真面目に「仏教」について考えてみる、良いきっかけを与えていただいたと思います。

これも「ご縁」なんでしょうね。

今回は宗教のお話がテーマということで、多分に哲学的。

一生懸命理解して、書いてみたつもりなんですが、
特に「悟り」に関してなどは、賀茂なすの理解力では咀嚼し切れていない部分もありそうです。

つたないレポートになってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいなのでした。
 
当日のアンケートから

今回の内容は納得のいくところ、「?」と思うところと色々と感じることがありましたが、
その中で「こだわらない」という言葉が印象に残りました。
確かにこだわることをやめたら生きるのが楽になるかもしれません。
何かと得ることが多く、毎回楽しみです。

お話を聞いていたら、反省することしきりで、
自分がどれだけ小さい世界で狭い視野で周りを見ていたことに気づかされました。
又、お話を聞きに是非、こちらへ参りたいと思います。
深いテーマをわかりやすく心に響くお話をありがとうございました。

心が洗われました。
自分の心が固まった時は、今日の梶田さんのお言葉を思い出す様にしたいと思います。
ありがとうございました。

縁が大事というお話、心に残りました。
こだわりをなくすとは、とても難しいことですが、日常の中でしんどい時にこの言葉を思い出し、
環境(縁)に自分の身を委ねてみてはいいのではないかと思われました。

大変すばらしいお話をありがとうございました。
これから生きていく上での教えとなり、嬉しく思います。

スタッフ後記

本日のお花:花政
小さなお花は
「ほっこりタイム」を過ごした
お部屋に飾りました。
コブシとヤツデハナガサが
控えめな美しさを見せてくれました。
今回の準備、実は大幅に遅刻してしまいました。

京都駅からバスに乗った場合、
あんなに時間がかかると思わなかったというのが、 最大の理由ではありますが、
1度は下見に行った場所にも関わらず、
バス停で降りた後に道に迷い、3人の方に場所を聞いて、
やっとのことでたどり着くという、大失態を繰り広げていたからです。

講座に参加された皆様は、行き帰り、道に迷われませんでしたでしょうか?

さて、今回は法然院のいろいろな場所を使わせていただきました。

いつもは見られない中庭や襖絵を間近に見ることができて、
なんだかお得感の強い講座になったように思います。

しかし、法然院さんの中が広すぎて、準備中に迷子になったり、
別の部屋の障子を開けてしまったのは、秘密のお話です。

内容に関して、聞き足りない、もっと知りたいと思われた方は、
梶田貫主のご本『ありのまま』や、
月に数回開かれている法話の会にご参加くださいませ。

4月以降も継続が決定した「和文化サラダ」。

ますます興味深い講座を準備していますので、ぜひぜひご参加くださいませ。

また、サラダ隊によるレポートも、好評につき(?)継続決定。また半年を、3名で担当しますので、よろしくお願いします!
この日も花は、花政の方が当日現場で生けてくださいました。
スタッフにとっては生けられるのを見るもの楽しみのひとつです。

次回は、4月1日(日) 「花 〜桜と日本人〜」 佐野藤右衛門先生 です。

平成18年10月〜平成19年3月 講座内容と各先生のプロフィールはこちら。

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