和のこころのおはなし
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「不思議な出会い(一期一会)」  京都市 川那辺のぶ子 2009年12月

文化祭の2日目。3時から山折哲雄先生のお話があるということで
法然院に出かけました。法然院には谷崎潤一郎夫妻のお墓があり、
お二人にまつわる話でもしましょうかと先生は言われました。

谷崎の小説「瘋癲(ふうてん)老人日記」の説明から始まり
老人のエロティシズムの話をされているときに、
向こうの部屋からは、おごそかに読経の声が聞こえてきたりして、
私は相反する世界に行きつ戻りつしながら気持ちはうろたえ、
なんとも摩訶不思議な雰囲気でございました。

それから、日本人の骨に対する信仰心や、お墓の話などもあり
こじんまりとした集まりならではの、ざっくばらんな、
はたまた打ちとけた?内容の話をしていただきました。

不思議な出会いとは、その後の個人的な出来事なのですが、
帰りに、タクシーのりばで、一人のご夫人と声を交わし、
帰る方向が一緒なので、タクシーの相乗りをしました。

彼女は東京から銀閣寺に観光にこられ、日本の伝統がこのままでは
寂れていってしまうのではと憂いておられました。
そのため、最近、能を習い始めたということ。
なんとまあ、和の学校の趣旨にぴったりのお方と思い、
思わずバックの中にあった和の学校のパンフレットを手渡し、
よろしかったら、ぜひHPを見て下さいとPRしてしまいました。

一緒に乗った地下鉄では、数日前、相国寺の美術館での能装束展がすばらしかったと
伝えたところ、ちょうど彼女は翌日にその美術館に行く予定をしているとのこと。
同じ年代の私達は、これからの生きかた、日本文化の行く末など、
話がどんどんエスカレートしていってしまいました(^_^;)

お名前を聞いたら、なんと和の学校の編集長と同じ苗字だったので
いくら忘れっぽい私でも、これはもう忘れるはずがありません。
地下鉄を降りるとき、いつか講座で会いましょうねと笑顔で別れたのですが、
突然のこうした出会いに、なんだかびっくりするとともに、不思議なご縁が
このあと楽しいご縁として繋がっていったら素敵だなと思っています。

あのときの、東京のOO様、このエッセイを読んでくださって
いますでしょうか?(^^)
もし、またお会いする機会があれば、美味しい和菓子と抹茶を一緒に
いただきましょうね。

 
「祖父の日記」   大阪府 牧野麻子 2009年5月

この連休を使って田舎へ帰省しました。

私の祖父が亡くなって丁度十三回忌です。

あの頃私は高校生で、突然の祖父の死に、悲しみ涙し
でもどこか実感なく時だけが過ぎて行きました。

そしていつの間にか13年という時が去って、
祖父はどこかに出かけたまままだ戻らないような、なんだかそんな気持ちです。


ここのところ日々変わる寒さと暑さ、仕事の忙しさに振り回され、
少し風邪気味でもありました。
「季節の変わり目、風邪に気をつけなさい。」
誰が言ったのかそんな声が頭をかすめます。


実家に帰ると両親が普段と変わらず「おかえり。」と笑顔で迎えてくれました。
いつもこの瞬間、自分が高校生に戻ったような気持ちになるのは
私が「いってきます。」と言って都会へ出たのが18歳だったからなのでしょう。

母が祖父の死後、祖父の書斎から見つけた手帳を持ち歩いていると教えてくれました。
祖父は誰にも言わず、手帳に日記をつけていたのだそうです。

日記には日常の出来事が短い文章で書かれていました。
そして、祖父が倒れた日のページにもいつもの通り日記がつけられていました。

「あさちゃんが、風邪をひいたらしい。熱が出ていないと良いなあ。」


それだけ、です。
それが最後の日記となりました。

祖父は同居していたわけではないのですが
季節の変わり目に風邪気味になった私を気遣ってくれていたのです。

13年経って今、風邪気味の私に届いた優しさに
心の糸がほっと解けたような安心感を覚えました。
ちょっとそこまで出掛けていた祖父が、帰ってきたようでした。


10年前に家を「いってらっしゃい。」と送り出してくれた両親と
13年前に風邪を心配してくれた祖父。

時が経って色々な物事が変わって行きます。
でも、変わらないものが確かにあります。
目に見えずとも変わらないもの、それが「思いやり」という心の繋がりなのだと、
そんな幸せな事実に気付かされる帰省となりました。

 

「素晴らしい子供たち」   愛媛県 野間昌子 2007年10月


近くの保育園の年長クラスのみにお茶を担当させて頂いています。

4月から8月は前期で、お茶の「イロハ」を教え、
後期の10月からはお茶の「こころ」を伝えるようにしています。 

10月9日のお稽古のとき・・・

朝一番に「和敬清寂」の「和」の説明で、白団扇に書いた「和」の字を見せて
「仲良くしましょう」のお話をしました。

次に、いつもの通り花の名前を覚えてねと「ぬばたま」=緋扇という花の実で、
あなた達が大きくなったら、「ぬばたまの・・・」という、
昔の人がよんだ歌に出会うと思うよ・・・と(枕言葉の話は省き)
「紫式部」の実=薄いピンクの小さなお花がこの実になるのよ、
この名前の人がいて、その人は日本で一番昔にお話を書いたのよ・・・と  
それから可愛いピンクの秋明菊よ・・・と話した後、
袱紗を使わない盆略点前でお友達にお茶を点てて差し上げるお稽古をしました。

約1時間半後になるお仕舞いの時に
団扇の「和」の字を見せて「意味を覚えている人」というと、
半数以上が手を揚げてくれました。

皆で声を揃えて答えてもらいました。

「よく覚えていたね、今日はお茶の心を一つ覚えたね」と褒めた後のこと、
なんと、花の名前を3つとも3人の子供たちが答えたのです。

「ぬばたま」など大人でも覚えにくいと思いますのに・・・。

運動会後の子供の成長は目覚しいものがあると、
毎年胸が熱くなるのですが、
半年前までは何も出来なかった子供たちが
ご挨拶も上手になったし、
背筋を伸ばしてきちんとお話が聞けているとわかって、
本当に嬉しく先生との打ち合わせの時間に二人で喜び合いました。

日ごろの先生のご努力に負うところは大きいのですが、
お茶の影響力も見逃せないものがあると思います。

独特の雰囲気の中で落ち着いた時間が流れ、
集中せずには出来ない点前のひとつ一つ。

其の上苦味という大人の味(子供にはこのように言って興味を持たせています)に触れる。

季節を感じ、
「美味しくなーれ」と「の」の字を書いて点てたお茶を
人に差し上げるという喜び(子供は与えられる喜びの方が多いから)などなど。

心の栄養に欠かせないものがあるようです。

感動を与えてくれる素晴らしい子供たちに心から”ありがとう”と言いたいと思います。
 
「ちょっといいお話」   東京都世田谷区 はこべ 2007年6月5日


バス通りの真ん中で 何かを拾っている男の人がいました。

通りかかった車が徐行して通りました。
拾った男の人はそれを通りかかった駐車場の塀にそっと置いて歩いてゆきました。

近寄ってみたら カブトムシがいました。
「轢かれなくて良かったね」と心で話しかけて通り過ぎました。

拾った人が途中で振り返りました。
夜道でしたけれども、お互いに笑顔を交したことを感じました。

それは、今日、和の学校東京分校準備会のミーティングの帰り道でした。

 
「最高の思いやり」   愛媛県 野間昌子 2006年12月


初めて「月次釜」を懸けた10月の日のことです。
社中に干支が一回り近く上の方が2人いまして、
其の1人は夏から「しんどい、だるい」を口癖のようにおっしゃっていました。

お運びをする人たちに
「お2人が途中で休んでいても、そっとしてあげてね」と、お願いし
お2人にも「気ままにして、疲れないようにね」と言っておきました。

裏で起きた事を何も知らず、
一服のお茶のために、わざわざ来てくださった多くの方々に
喜んでかえって戴こうと、もう夢中で本席に集中しておりました。

ただ其の方が「気分が悪くなったので病院へ行ってもらったよ」との言葉を信じて。

救急車で運ばれて(これもよそ事と思い、知らずにいました)
まもなく亡くなられたそうです。

夕方、最後のお席が終わり、皆で記念の写真を写し、
かたずけにかかった時なにもかも知らされました。

今も其の時を忘れることは出来ません。

病院へかけつけた娘さんが先ず
「このことは先生に伝えないで下さい」と、おっしゃて下さったそうです。

裏方のお手伝いの中にたまたま3人看護婦経験者がおられたので、
大騒ぎにならずにことが運んだとききました。

全員が口を噤んで、本席のほうに気ずかせぬよう、心配りしてくださったのです。

後に「あんなことがあったのに、にこにこして平気でお席を務めた・・・」と
心ない人の言葉も耳にしましたが、
私には周りの温かい「和のこころ」に今も胸が熱くなります。

親先生は
「あの方は幸せな人ね、大好きなお茶の席で、晴れ着を着て、
皆に囲まれてあっという間に・・・私もあやかりたいわ」と、
私を慰めてくださいました。

この時より2・3年前のことになりますが、
其の方の「古稀のお祝い」を我が家でしたとき、
彼女に「亭主」をしてもらったのですが、
其の時の着物が其の日の晴れ着であり、
葬儀の写真が「古稀のお茶事」のときのものでした。
(お仏壇の引き出しに入っていたそうです)

社中では今も彼女の話題がでると、
「来てるね」=この場所に来て一緒に楽しんでいるね・・・の意味
と、懐かしがっています。

私には大きな出来事の中で、最高の思いやりを戴いたことですが、
皆様に「和のこころ」としてお伝えできることでしょうか?

 
「母の着物」   大阪府 牧野麻子 2006年12月


先日、三年ぶりに母校の大学へ向かいました。
手には重い紙袋を下げて。

大学の着付け実習授業に先生の助手として参加させて頂いたのです。

大学へ向かう途中、この大きな紙袋を何度持ち替えたことでしょう。
肩から手へ、右手から左手へ。

ようやくたどり着いた母校は
三年前に見て以来とは思えないくらい変わらず、
そのままの姿で「おかえり」と迎えてくれました。

実習が始まり、私もお手伝いをしながら
持参した着物で着付けを学ばせて頂きました。

紙袋に入っていたのは着物でした。
なぜ紙袋か。
それは家を出る直前に予定とは違う着物を手に、
慌てて出たからなのです。

新しく仕立てた着物を準備していたのですが、
結局手にしたのは母の着物でした。

それを広げた時、田舎の母を思い出しましたし、
この着物に袖を通した若い頃の母を想像して、
何十年ぶりかに外に出してあげたくなったのです。

なんとか着付けを終えると、
先生が母の着物を誉めてくださいました。
よく似合う、との言葉に若い頃の母が喜ぶ姿を想いました。
聞くと、先生が身につけているお着物もお母様のものでした。

私の母と先生のお母さん。
二人が出会うことはなかったのですが、
こうして今着物を身につけることで二人は出会えたようです。

先生と会話をして笑い合っているのに、
まるでこの着物に袖を通した
母親になる前の母達が冗談を言い合っているような、
そんな時間でした。

どこか懐かしい感覚に包まれたのは、
母校に「おかえり」と迎えられたからだけではありませんでした。

私が大学へ向かう途中、手に抱えていた大きな紙袋。
何度も持ち替えていました。

今思うと、きっと早く外に出たくて
落ち着かなかったからなのかもしれません。

 
「牡丹」   愛媛県新居浜市  昌子さん  2006年5月

我が家のお稽古日の前日のこと、用があって友人に電話をしたとき、
「牡丹お宅にある?」と、聞かれ「芍薬しかないの」と答えると、
「今、雨が降っているから、明日丁度良い蕾があるかどうかわからないけど、
出来たら届けてあげるね」とのこと。 
「自分だけが見て満足するより、
沢山の方に喜んでもらう方が花も喜ぶから」と、おっしゃって・・・。

車で20分はかかるところで、しかも朝の忙しい時間に・・・私は期待しながら
反面、申し訳ないと思いつつ、お稽古の支度に忙しくしておりました。

いまにも開きそうな生命力あふれる蕾と、少し固めの蕾を、
お稽古前に持ってきて下さいました。

お弟子さんが「お床」を拝見するたびに歓声が上がり、
感動の言葉を耳にすることができました。

このようなお話は、きっとあちこちで聞かれると思いますが 
私には、其の友人の何気ない優しさが、琴線に触れるものなのです。
今、その牡丹を携帯の待ちうけ画面にして、
電話の度に「和」の心を味わっています。
 
「気遣い」 大坂 川添光代  2006年5月

大阪の市内に戻ってきて
まず困ったのが食料の買出し。

スーパーしかないので 
「とてもおいしい食材」には出会いにくいのです。

先日 路地の中にお肉屋さんを見つけました。
ご主人ご自慢の牛肉が
さっき入ったばかりだからとお勧め。早速購入。
それと、朝食用にハムと明日のお弁当に・・・・・と
数種類買いました。

家に帰ってみて 驚きました。

夫々の包み紙の上には「ハム」「豚薄切り」・・・
などと書かれてあったのです。
発泡スチロールのパックじゃないから 
中身が見えないので工夫されたのでしょうね。

このような気遣いや、もてなしの心に「和」を感じます。

牛肉は 本当においしかったですよ。
 
「飴」   京都市  直子  2006年4月

先日、身体をいためて整骨院に行ったときのことです。

仕事を休んで昼間に行ったのですが
待合室には結構たくさんのお年寄りが待っておられました。

「いたたた」と、長椅子の端っこに座っていると
隣のおばあさんが「ん。」と小さな巾着袋の口を広げて
私に差し出されました。
「?」と思って中を見ると、いろいろな飴がたくさん入っていました。
「え?いいんですか?」と言うと
「とって。」とにっこり微笑まれました。
お礼を言ってひとつ取ると
「それ、生姜(しょうが)やし。」とまたにっこり。

全く知らない人から飴をもらうなんて。
ほんのり生姜の味の飴を口に含んでいると、
なんだか痛みもやわらいで
「こういうのっていいなぁ」と思いました。
 
「夜桜と遺影」   兵庫県  松本高明 2006年4月

花見の季節になると、毎年、思い起こすシーンがあります。

東京上野公園の夜桜見物に出かけた時のことですが、
見事に咲き誇った桜に酔いしれ、
お酒が入った花見客による喧騒の中を、
帰路に着こうとしていた私の眼に飛び込んできたものは、
微風で花散る樹の根元に、
30歳代ぐらいの女性が一人座しておられて、
その側に、母親らしい人の遺影が立て掛けられ
湯のみ茶碗が二つ。
そこをとても静かで穏やかな空間が包みこんでいました。
きっと、お母様と毎年のように
夜桜見物に来ておられたのではないでしょうか。
そして、今は遺影と共に。
私は、胸の中がジーンとなったまま帰宅、
すぐに、関西で一人住まいしていたお袋に電話、
久し振りの長電話をしたことでした。

後日、この時のシーンを俳句にし、伊藤園に投句、選に入りました。

   「花見狩り遺影伴ふ女佇てり」
  
きっと今年も彼女は、
上野公園で夜桜見物をお母様となさっておられると思います。きっと。